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 | たやすい信仰


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「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたに安らぎが得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」


マタイ伝11章28節~30節



主なる神を信仰する事について、主イエス・キリストのご姿勢はどうであったのだろうか?
そして生けるキリストの信仰はどこか決まった場所でしか、出来ないものなのだろうか?



主キリストは、教会という建物を持たずに野や山で信仰を伝えました。聖書のヨハネ伝に、 主イエスとサマリアの女との話が載っています。そのヵ所で主イエスは、このように言われています。

   『女は言った。「私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、 あなたがたは、礼拝する場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、私を信じなさい。 あなたがたがこの山でもエルサレムでもないところで父を礼拝する時が来る。あなたがたは、知らないものを礼拝 しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼 拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝 する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければな らない。」』

   神を礼拝し、信仰する場所は、エルサレムとか、決まった場所だけとかではない。つまり、天の父なる神を礼拝するのは、 ある決まった場所でしかすることが出来ないのではなく、今、自分のいるその場所で天の父を礼拝することが出来ると言われる。また、そして、それこそがまことの礼拝の姿だと言われる。だから、決まった場所に行かなければ、主なる神を礼拝出来ないのではなく、どこにいても生けるキリストを礼拝し、信仰する事は出来る。自分のいる場所で、あるいは、自分のいる生活のその場で 我が神、主キリストを拝し、我が身の内に、主キリストの神を頂き、主キリストにあって、我が内に神の宮を頂いて、日常生活を主に導かれるままに歩むことだろう。

だから、キリストは信仰を説くのに、教会(当時はユダヤの寺院)でしただけではなく、野原でも山でも、隣人の家でも信仰を説きました。主キリストがそうであった様に私たちも教会や決まった場所でしか信仰が出来ないわけではなく、今いるその場所で、自分の生活の場で、仕事の合間に自分でちょっと空いた時間を見つけたその時に、天の父なる神に礼拝し、生けるキリストの信仰生活が出来るだろう。その人の我が神なるイエス・キリストを自分の生活のその場で、信じれば、ある特定の場所や特定の祈りをするための場所へ行かなくても、野原や山で、あるいは、その人のいるその場所で、自宅で、その人の生活の場で、キリストの信仰が出来るだろう。

自分の家で、あるいは、自分の仕事をしながらの合間に、主キリストに祈りを、その人がする、あるいは、もし、その人の家族が共にいれば、一緒に祈りをすれば、それこそが、キリストへの礼拝であり、そこの実生活の場が、キリストにある信仰生活の場所となるでしょう。

ですから、私は、キリストの信仰は難しいことではないと信じます。

大切なことは、自分が、生けるキリスト様ご自身を、我が主なる神様と心から信じ、祈り、自分の内側を神の宮として、キリスト様を自分の神様としてむかえること、そして、それを、続けられるように主を信じ、祈り、主なる神様に、守ってもらうことです。
そこから、あなたの主キリストの信仰が始まります。

そして、キリストの信仰には、段階があります。もし、自分が、天国で、愛に満ちた、すばらしい世界、キリストのみそばに、もし、少しでも、自分の段階から、ちょっとでも、近づきたいと願う場合はのことですが、生けるキリストの信仰は、まことの聖霊と愛の生命の信仰であり、キリストの腸のちぎれる様な慈悲にみちたあわれみの愛の中に、キリストの神の愛のご性質を少しずつでも、いろいろなところから、自分で学ぶ為のチャンス、出会い、機会を願い求めて、得る努力をすることです。


そして、大切なことは、生けるキリストの聖霊 と愛の生命を頂くことを願い、求め、キリストに信仰が守られる様に祈り、生けるキリストを信じることです。
私は、2010年に夢でキリストからキリストの伝道をするように示されました。その時キリストは、夢の中の悩める人にキリストを信ずることを宣言させました。キリストは、「世の中の悩める人にキリストを信じることを宣言させよ」と私に示されました。それで私は、キリストの言われるように伝道をしようとも思います。 そして、人の前で、社会の中で、自分はキリストを信じている事を、あらわす場面に出合った時は、あらわし、そして、生涯、キリストを信じていることと宣言し続けることです。私はそう信じます。


そして、生けるキリストを信じ、主に、自分の願い、夢を祈願し、その実現を確信し、信じ切り、それに向かって、努力することが、その願いの成就の道でしょう。そして、その願いが、神の御心なら、その夢は、実現するでしょう。

あなたも、どうぞ、今いるその場所で、普段の生活の場で、生けるキリストを信じて下さい。そして、主キリスト様が、あなたに、主キリストの恵みと幸福と祝福の生活をお恵み下さることを、心からお祈り致します。

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