| ことば |
内 容 |
| イエス・キリスト |
Christ ギリシャ語(クリストス)の音訳で(油注がれた者)の意味である。旧約に預言された(メシア)と同じである。それが人称固有名詞イエスと結合して(イエス・キリスト)という救い主の総称となった。受肉した神の独り子イエスこそ、約束されたキリストである。
イエスはユダヤ人によく見られる名前で、<ヤーウェは救い>の意味。(中略)他方キリスト<油注がれた方>は、(中略)一般的には、王、預言者、大祭司などを聖別する時に油そそがれたことにより、特に救い主を指す。 |
| 聖 霊 |
創造者なる神の霊。(中略)現臨して働きかける神である。(中略)<霊>を表すヘブライ語はもと風、息を意味する語で、見えないけれども現実に力を示す神の働きを表している。(中略)
神の霊はイエスの受洗の時に注がれ、荒れ野に導き、悪霊を追い出し、御業を行う。使徒達にも主の霊が働いた。
しかし、新約における聖霊は、使徒言行録2章の聖霊降臨の出来事により、特別な意義を持つ。その時聖霊は、(中略)弟子達の共同体のすべての人に注がれて、彼らをキリストの復活の証人として立ち上がらせた。ここに聖霊は、生けるキリストを信じ、キリストを宣べ伝える教会(エクレシア)を基礎づける神の働きとして現れた。(中略)
愛が聖霊の賜物のうち最高のものとされている(Ⅰコリ13:13)。(中略)聖霊はキリストの御業によって始まった救いが、やがて信仰者を完成させることの保証である(エフェ1:13,14)。
聖霊はイエスが世を去られた後に、イエスにおいて現された真理、すなわち、神の愛を教会(エクレシア)に悟らせ、エクレシアをその愛の中に生き続けさせる為に注がれる「真理の霊」である(ヨハ14:17,15:26,16:13)。(中略)パウロはキリスト者の身体について、「聖霊が宿って下さる神殿」(Ⅰコリ6:19)と言っている。信仰者は朽ちるべき肉体におかれつつも聖霊を神から賜ることにより、望みと喜びの生活に入れられ新しくされ、救いの保証として聖霊が内在して下さる。(以下略) |
| 信 仰 |
新約においては、イエス・キリストが信仰の対象として示された。(私キリスト者としての私解釈も含む)イエス・キリストが、本来から悪いものである私達人間の悪い性質による罪、行いの罪を救うために十字架上で贖いの血潮を流され、贖われ、主が復活されることにより人間に対する神の愛のご意志を示された
。
この贖いの十字架の福音に示される神の真実、神の愛に全託の信頼を成すことが言われ、その復活の今も生きておられる生けるキリストを信じ、キリストの愛の生命を祈り求めて頂きつつ歩むことが重要です。
主に祈り、贖いの生命を受けて、悔い改めつつ自分の悪い罪の性質を贖ってもらいつつ、キリストの愛に少しづつでも受けて近づき、我が身にさびつかせて、祈り、キリストの聖霊の示しを受けつつ、聖書などから、神の御性質を学び、自分の信仰の非が正されて生きることが大切です。
パウロは「信仰は、聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ロマ10:17)といい、そして、罪人は、「信仰によって義とされる」(ロマ5:1,ガラ2:16)といい、パウロの手紙は、このキリストの信仰を中心に信仰のあり方について展開されています。 |
| 弟 子 |
(略)その大部分は、イエスの弟子について用いられ、福音書では、広義にはイエスに従ったユダヤ人たちを、狭義には12人の弟子達を、使徒言行録ではキリスト・イエスを信じるすべての人々を指して言っている(使6:1,7, 9:19, 11:26他) |
| 聖 書 |
聖書は、神の言葉である。聖書が書かれた目的は、「イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名より命を受けるためである」(ヨハネ20:31)。聖書はまた聖典、すなわち信仰と生活の規範である。(以下略) |
| よみがえり (甦り) |
旧約で死者の甦りについてはっきり述べられているのは、イザ26:19、ダニ12:2のみである。新約の時代のユダヤ人は、モーセ五書のみを律法と考えていたサドカイ派を除いて、すべて甦りを信じていた。死者の甦りの信仰は、本来黙示文学的な見方の発展に伴って広がった。キリスト教の甦りの信仰は、ユダヤ教の観念をただ借用したものではない。むしろそれは、ユダヤ教の言葉や表現は借りていても、イエス・キリストの甦りという事実が中心的位置を占めている。そのことはパウロに言う、からだの甦りの思想において示される。(Ⅰコリ15:36-54)。からだの甦りとは、この世における肉体がそのまま甦るということではなく、霊のからだに甦るのである。 |
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