すなわちシモンペテロ答えていえり、汝はキリスト、生ける神の子におわす(マタイ16章16節 新契約聖書)。そのとき彼(イエス)は弟子たちに、彼のイエスすなわちキリストにおわすことを誰にも言うことなかれ、と言い含め給いたり(マタイ16章20節 新契約聖書)。
『キリスト』の言葉の意味は、「油注がれた」という意味です。キリストは、神の聖霊の油が注がれた方であり、生ける神の子、生けるキリストです。イエスは、ギリシャ名でへブル名のヨシュアに相当し「エホバ(意味:天の父なる神の名前)は救いなり」との意味です。
(キリストが誕生する時において、)主の使い、夢に現れて言う。「ダビデの子ヨセフよ、妻マリアを納るる事を恐れるな。その胎に宿る者は聖霊によるなり。かれ、子を産まん。汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救い給う故なり。」(マタイ伝1章20節)と告げられました。
キリスト・イエスとは、神につけられた名前であると言えると思います。
バプテスマのヨハネは、ヨルダン川で、イエスに対し、「私は悔い改めに導くために、あなたたちに水でバプテスマを授けているが、私の後から来る方は、私よりも優れておられる。私はその履物をお脱がせする値打もない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。」(マタイ伝3章11節)と言われました。
このシモンペテロは、「汝はキリスト、生ける神の子におわす。」と神に示されて、キリストに対しその言葉をあらわしました。イエスはキリストであると普通に当たり前の様に思うかもしれませんが、しかし、(神であり人の様にして地上に誕生した)イエスがキリストであるという事を信じる事は、人間に与えられた貴い、唯一の恵みの賜物の言葉でもあり、この言葉より、ユダヤ人が、気の遠くなるぐらい長い間、待ち焦がれたメシアが、現在の私や私たちのうちに来って頂いたことの幸せと意味を深くかみしめた今日でした。
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