2020年2月8日
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
(マタイ伝25章31-46節 新共同訳)
この箇所を読んで、キリストの神様に喜ばれて天国へ入れるキリスト者とはどのような者であるかという点を学びました。
羊と山羊のたとえは、キリスト者とキリスト者でないものというよりも、キリスト者の中で聖霊の生命を受けて、小さき弱きキリスト者に、愛の行為をする者かしないものかの分別であるという点。キリスト信者となりしも、主に祈り聖霊の生命を受けて、弱き小さきキリスト者に愛の行為をするものは天の父なる神に喜ばれるが、愛の行為をしないものは滅ぶとの教えでありましょう。
ただ単にキリスト教会に所属していても、聖霊の生命を受けてキリスト者として愛の行為をしないものは天国へは入れないと教えられています。
キリスト様はキリスト者に戒めとして「まさに私が君たちを愛したと同様に互いに愛せよ。これこそ私の命令である。」(ヨハネ伝15章12節原文訳)と教えられました。キリスト者は、キリスト様が教えられた当時から社会の中で弱く、力も小さき者が多い様だが、キリスト様はその弱き小さきキリスト者を少しでも愛しいたわる者を喜ばれました。そしてキリスト者同士が互いに愛し助け合い、困難なこの世の中で、しっかりと生きられることを願ってくださりました。
私たちは自分が成長し自己のあらゆる利益を増すことをほとんどの人が願うでしょう。しかし、キリスト様は、「だから人々が自分たちに行って欲しいと、君たちが欲することはすべて、君たちもまたそのように彼らに行なえ、なぜならこれこそ律法である、そして預言書であるからである。」(マタイ伝7章12節原文訳)と教えられました。
私たちは、自分の利益・成長のみを考えて行えば、社会の中で成功すると考えがちですが、そうではなく、自分も成長を目指すべきだが、相手の立場にたちつつ、その上に自分の立場を置き換えて、霊感しイメージして相手のまことに欲することをすべて相手に成せ、なぜならこれこそ律法である、そして預言書であるからである。と言う様に、自分と同様に相手の欲することをして、相手を愛すること、主に祈り聖霊の生命を受けて、自分と同じく相手も愛すること、こそが、社会の中で社会の為や人の為になる最適な上手に生きる生き方だと悟れました。
主なる神様は、キリスト者として、その人の心のあり方を見て、認めてくださると信じます。キリスト様は、ある人がたとえうわべだけの愛の行為をして、その心は神の愛よりも自分の利益にある者の行為に対しては、主は、悲しまれるだけだと感じます。
相手に対するキリスト者の最も神様が喜ばれる行為は、出来るだけ相手に知らせずに、相手を愛して、キリストの兄弟愛で、相手の信仰の成長を願い、相手の欲することを成し、相手を愛する心と行為だと信じます。
私たちは、自分の利益のみを考えて努力行動するというよりも、主に祈り聖霊の生命を受けて自分と隣人のことを同様にして愛して、行動していくことこそ、真の価値のある人生の生き方であり、キリストの神様に喜ばれる生き方であると信じます。
キリスト者は、キリストの神様によって、主の愛の恵みにより、キリストを信じること、主に祈り聖霊の生命を受けること、ただキリストの教会に属すればいいとかではなく、弱き小さきキリスト者を愛することなどの主の愛を与えられて生かされます。
あなたも主キリストの愛に生かされて、恵みの人生を生き、主の天国への祝福の道を歩めることを主なるキリスト様に心から祈ります。
(参考文献:ギリシャ語原文参照 ギリシャ語聖書対訳テキストマタイ福音書2(キリスト聖書塾))