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| 神の言葉は永遠の生命であるとは?
(主キリストの中において人間の真実の道を歩むこととは) |
2015年1月17日記録
「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ6・57-58)
生命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、生命(永遠の生命)である。(ヨハネ6・63)
主キリストの言葉は、神であり、生命であり、その生命は人を照らす光であると書かれてある。
そして、生命を与えるのは霊(πνευμα プネウマ)である。私(主キリスト) があなたがたに話した言葉(原文ρημα レーマ 談話)は、霊であり、生命(原文ζωη ゾーエー [神の持つ]永遠の生命)である、という。
キリストの言葉は 生命であり、活きた神の霊であり、永遠の生命である。
聖書の印刷した文字、自体は、何でもないただの文字だけかもしれないが、そこにキリストの生命、聖霊の生命が臨んで読むときに、そのただの印刷された
文字が、生けるキリストの神の生命、神の義(神のご性質)の霊なる神の力がおびるだろう。
別のところで主キリストは自分のことについて、「わたしが生命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じるものは 決して渇くことがない」と言われた。
この世にある食べ物のパンは、種類があり、食パン、味付けパン、フランスパンといろいろある。 それと同じように、キリストご自身が喩えられた、「わたしが生命のパンである」と言われたパンの生命、自体にも、聖霊の生命、愛の生命、病の癒しの生命の力、人を慰める憐れみの生命、 人を元気にする生命、人の願いを成就する生命の力などいろいろな種類があると感じた。そして、そのキリストの生命を与えるのは、キリストの霊であるだろう。
そして、そのキリストの与える生命は、わたしたちに神の持つ永遠の生命を与える。そして、キリストを信じることにより、与えられた永遠の生命は、わたしたちを、将来、
まことの神の天国に導き、主キリストと天の父なる神との愛の交わりに入れ、人間にとっての真実の完成の姿に向かう神の子にかぞえられる最高の神の賜物に与れるものとなるだろう。
地上での信仰生活は、この目的の為に歩む生涯でもあり、日常生活をしつつ、聖書の神の言葉などを、上記のように、聖霊の生命を受けながら、読み、神の義(神のご性質)を学び、自分の非を正されて、
キリストの信仰の成長を目指して、聖書にあるようにキリストご自身の肉を食べ、血を飲みつつ、キリストご自身をいただきつつ、信仰生活を歩む歩みだろう。
主キリスト様に感謝、賛美します。アーメン。
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