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| 主なる神の愛する者こころに適う者とは
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2018年1月4日
イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
彼からバプテスマを受けるためである。(中略)ヨハネはイエスの言われる通りにした。
イエスはバプテスマを受けるとすぐ水の中から上がられた。その時、天からイエスに向かって開いた。
イエスは神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのをご覧になった。その時、「これは私の愛する子、
私の心に適う者」という声が天から聞こえた。
(マタイ伝3章13~16節 新共同訳)
主キリスト様は、父なる神にいつも従順で、死に至るまで心から従順であられました。
イエス様は、人間的自分の利益、世の権力などを全く求めず、罪深く、悪い私たち人間がキリストの神様に自分の魂が救われ
神の子となり、幸せに生きることを願い生きられました。サタンに仕えることや、サタンによりこの世のすべての栄え、権力、富を与えれることを力強く拒み、サタンを退かせ、聖書の神の言葉より、神に仕え、神のみを拝することを第一として歩まれました。
世の中の権力者や富のあるものよりも、ひもじく、弱く、人々にさげすまれ、人々から見捨てられた
ものを憐み、主に救い、その人の味方となられた、深い愛の方であられました。主は、この世の人が求める権力や富は求めず、
神の憐れみと慈愛にとみ、お優しく、温かく、心がこまやかで、悩めるもの、悲しめるもの、今泣いているものの友であり、
そして、深く子を愛する親の様な、この世の人間にはどこにも見出せない様な慈しみある愛のお方であられました。
純粋に信じ、御名によって、願い祈る者の願いを御心ならばかなえ、もし、すぐにはかなえられなくても
信じ祈り続ける者に最適な時に願いをかなえ、私たちに喜びを与えられる方であります。
主キリストが神に愛され、その心に適う者であられるが、私たちがキリストを真似ても、限界があり、
どこまで行っても猿真似でしかないでしょう。しかし、主キリスト様を信じ、キリスト者として、キリストの言われた
「私が愛するように汝ら互いに愛し合え」という言葉に対し、主キリストに祈り、聖霊と生命を受けつつ、歩み、
キリストに倣い少しでもキリストの御性質に学び、主に近づくことを目指していくことが、私たちが主の愛の中で一つとなるために
必要な大切なことだろうと感じます。
キリストと同じには、なれないにしても、主の聖霊と生命を受けて本当にわずかながらでもキリストに近づくように祈りつつ歩むことは、大きく大切なことだと信じます。それこそがキリスト者として神の愛に導かれ、生かされる恵みだと信じ、神に感謝して歩んでいきたいと信じます。それが私たちにも与えられた神の愛の中に生きる神の子となり、神に喜ばれる道だろうと信じます。
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