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 | まことの愛とは何か?


(神であり人でもある主キリスト様の言われる神の愛とは)

2014年7月12日収録・記録

主の教えの言葉より。キリストの愛とは何か。まことの愛とは、何かをあなたに示す。

神の世界には聖霊の愛がたぎっている。聖霊の愛は神の中より愛の生命を与える。
愛の生命とは、何だろう。

神の愛は、聖なるキリストの生命の中にたぎっている神の生命の愛である。愛には、一つの分け方として、神の愛と人間の愛の2つがあるが、神の愛は、真実の愛である。人の愛は神の愛に物自体及ばないだろう。神の愛を聖霊の愛ともいえ、人の愛は肉の愛とも言える。神の愛はキリストご自身にその根源をなすもので、天の父なる神の愛と同じ愛である。
キリストの愛とは自分の利や自分の損得などにはまったく関係ない神の純粋な愛、神の聖霊の愛である。愛の性質については、聖書のコリント書簡でパウロが語っておる。ところで、その本質は、キリストの愛つまり自分の生命を友のために捧げ、捨てる愛である。 自分の生命は、自分のかけがいのない大切なひとつのもので普通だった何よりも大切なものと誰でも思う。

しかしその自分の生命を捨てて友のために生命を捧げることの意味とはなんだろう。
生命よりも大切なものとはあるのだろうか。
それは自分の1番大切なものを、愛する人のために捨てることと言うことである。キリストは自分の生命を十字架でほふり、人間のために贖いのはんさいとなられた。そして十字架によって人間の罪をほふり、神と人間の和解の架け橋となられた。
愛とは、自分にとって1番大切なものを言葉だけでなく自分の身をもってで愛するもののために捧げ、捨てることである。神の愛の生命を受けて愛するもののために自分の生命を捧げる意味のことであるだろう。生命をかけた愛とは最高の愛のことである。そしてその生命を賭けた愛とは神の愛の生命を受けてこそできることなのである。
つまりキリスト者の神なるキリストの愛に生きるとは、キリストを信じているものに与えられ、出来る技なのである。

この世で人は愛とか恋とか言って男女間で好き嫌いと言ってで色々と思いを掛け合っておる。男女の愛はつまり人間の愛は自分が好きか嫌いかによっててその行動がなされていくだろう。そしてその人間の愛には肉的な肉欲が大きく関わってくる。人間の愛もひとつの愛の1種ではあるがそこには自分が愛すか愛さないかの判断が関わってくる。つまり自己愛と言うか自分が相手を愛するか愛さないかの自己の判断が関わってくる。
その愛も悪いことではないかもしれないが、しかしそこには1番自分の大切な生命を捨てて友のために魂から愛する様な愛とは性質が全く異なる。
だから神の愛と人の愛の大きな差はキリストを愛し信じていながら相手を愛すかどうかにあるだろう。

青年男女間の中にあるような愛もいいだろう、が、しかしまことの愛とは、人間が好き嫌いで人を愛するような愛とか相手を恋するとか言う愛とかではなく、真実の愛は、キリストが示された愛、つまり友のために自分の生命を捨てて愛する様な愛のことであるだろう。そして神を信じ、神の愛を受けつつ、その真実の愛を目指して、人々を愛していくところに社会の中にまこと神の愛の世界が開けてくるカギが隠されているのであろう。

主キリスト様を、信じはじめるものは、知らず知らずのうちにその様な愛がまことの愛だと感ずるようになり、誰もがそれを目指したいと願い歩み始める様になるだろう。

キリストとは、聖霊の愛と言う言葉で表現できるようだが、その愛は、もし人間の中で表現しようとすれば、愛する我が子を慈愛する母親のその子に対する愛であると言えるかもしれない。いや天の父なる神とキリストによるその僕への愛は貴い最高の神の権威の人に対する慈しみの愛であり、自分の生命を捨ててでも喜んで愛するもののために愛するような愛であるだろう。

まことの愛とは何かといえば、主キリストの神のご性質の真実の愛であり、キリストの聖霊の愛、神であり人でもあられた主キリスト様の愛に見習い、愛するもののために、すべてを捨てて慈しみその子(隣人)を愛する愛であろう。



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