2019年6月9日
『一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」』
(マタイ伝17章14-20節 新共同訳)
ここも私の尊敬する今は故人の伝道者のいた団体の訳ですが20節は原文で『それで彼(イエス)は彼らに言う、「君たちの小さな信仰のゆえだ、なぜならアーメン」、私は君たちに言う、もし君たちがからし種のような信仰を持っているなら、君たちはこの山に言え、『ここからあそこへ移れ』と、そうすればそれは移る、そして君たちには、何ひとつ不可能なことはない」。』です。
信仰が薄いからだ。というより、君たちの小さな信仰のゆえだ。という原文訳です。そして、ここでは、信仰の量が少ないというより、信仰の質が違っていると言われていたようです。
私たちは信仰において、恵みを受けますが、ここで言う病の人など実際の現状を見て、もしかしてどうかという様な疑いを持っている場合には願いはかなわないのです。純粋にキリストの神様の愛の力を信じ切り、キリスト様を信頼し、全託して、信仰の質がともなる時に、神様の奇跡の力が起きるのです。
信仰が純粋でありそれがたとえからし種の様に小さくても神の力を疑わずに信じ切り、その信仰の質がキリストのかなう時に大きな奇跡が起こることをキリスト様は私たちにここでは教えているのです。
マルコ伝の同じ個所の9章28-29節に同じく原文訳で、『そして彼(イエス)が家の中に入ったときに、彼の弟子たちは密かに彼に尋ねはじめた、「なぜ私たちはそれ(霊)を追い出すことができなかったのですか」。すると彼らに言った、「この種類は祈りにおいてでなければ、何においても出て行くことはできない」。』とあります。私の尊敬する故人である伝道者はこう教えて下さりました。その伝道者は生前に病を癒す多くの奇跡を成されました。「そしてこのような神癒を実現させるのは霊術ではなく、信仰者の篤き祈りであります。霊は霊により制する。人力では無効です。主キリストの御霊の力を仰ぎ祈り、その憐れみに縋り病の霊を放逐するのです」。
神癒や願いを実現するためには、この場合は病の人に対する神の愛の憐れみを受けて、信仰者の篤き祈りが大切だとあります。普通不可能な様に見えることも、人には出来なくても神には出来ないことはないとキリスト様が言われたように人力では無効ですが、主キリストの御霊の力を仰ぎ祈り、その憐れみに縋り、キリスト様に倣い、キリスト様を信じ切り、成すことです。
キリスト様に祈り、願いがかなう人は、自身に疑いの心を持たず、純真な信仰で、信じ切り、願い、その願いはすでになったと信じて疑わずに歩む信仰を身に着けることでしょう。
そして、そのような人をキリスト様は、「そして君たちには、何ひとつ不可能なことはない」。と教えられました。私たちもその様な生けるキリストの信仰者を目指し歩んでいきたいと願います。