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 | まことの神の中の地上天国とは?



(神の中にあるまことの理想的共産社会とは)


2015年3月16日記録

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられていた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒行伝2章43-47)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、1人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、1人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとへ置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。(使徒行伝4章32-35)


世界には、資本主義、社会主義、共産主義といろいろなかたちがあります。それぞれに利点もあれば、欠点もあると思います。

今、ここで、テーマとしているのは法律的、政治的な共産主義でなく、心の共産であります。


人間は、自分が人よりも何においても良くなりたい、持ちたい、優れたいと思い、自分の利のみを追求し,自分の欲望に負け、また、キリストの言われた様に人は本来悪いものである(マタイ伝7章)とも感じます。そんな人間にまことの神の中の地上天国が訪れるのでしょうか?実現を願っても、実際は神の力によらなければ普通には不可能に誰にも感じます。しかし、その人間が生けるキリストを信じる事により、神の子となり、救われます。そして、その信徒が初代教会時代にペンテコステの生命を受けて、キリストの戒めの「私が愛するように互いに愛し合え」との言葉のように、互いに愛し合うこの時にまことの神の中の地上天国が実際に地上に実現しました。


初代教会時代に、この使徒行伝2章にあった事が起こったのは、キリストが預言されていたペンテコステの聖霊がくだって、その強烈な聖霊の生命が使徒や信徒に望んでいたこと、その聖霊の偉大さ、聖さ、貴さ、その愛の力が使徒たちや信徒たちのもちものをすべて共有し、一つの祈りをし、皆が一つになった原因であり根源であったと感じました。


ここでいう使徒行伝2章の「すべての物を共有にし」とは、すべての信者が財産を皆投げ出して共有にしたとの意味ではありません。彼らは互いに相愛した結果互いに一家族の如くに親しく往来し、自己の財産を全く自分の私物と思わない為に必要に応じてこれを他人の為に費やすことを自己の為に費やす如き態度であった事を示しております。

信徒たちへの強制ではなく、生けるキリストの愛の生命によって聖霊を受けた信徒たちの愛の心、行為によってすべてを共有し、皆一つとなる有機的社会が実現しました。この社会は、肉の人間の思考の強制、力による共産社会ではなく、生けるキリストにより実現したキリストの信仰の聖霊による愛の中の理想的な共産社会であり、聖霊の愛の中でこの初代教会の時に実際にこの世に実現を致しました。


それを思い返すと、それは不可能とあきらめてしまうのではなく、私たちもこのペンテコステの時にくだった聖霊、そして、今も生けるキリストを信じる私たちにキリスト様がくだして下さる聖霊の生命を受けて、その上で、『神の中にあるまことの理想的共産社会』が生けるキリストを信じている自分の家族やまわりに実現し、まことの幸福がなり、「まことの神の中の地上天国」が実現する夢、人間の、そして、地上のキリスト者の最大の夢、ビジョンであるこのことを願い、実現する事を信じて目指して行きたいと願います。


この個所を初代教会の特徴であると私は述べましたが、 しかし、この個所は、その内容について説明も必要だと感じました。
初代教会の財産共有などの箇所について、これが現在の生活にはそのままでは当てはまらない場合も考えられ、この箇所は初代教会のそのままの特徴を当てはめていない、初代教会は、その後のアンテオケでの福音での発展的活躍などもありますが、ここは初代教会の始まりであるだけであるというだけだという指摘もわかります。
しかし、このキリストの兄弟の皆が一つで生き、とても大切な財産も共有もするこの聖霊降臨後の初代教会の起こった主キリストよりのあつい愛の生命とそれにより起こる愛の行為を行なわせる主の愛の生命は初代教会全体を通しても初代教会を特徴づける意味がある点だと感じました。
このような生けるキリストの愛の生命を受けて、自分と隣人も同じ様にして愛し合い、共に愛し合い、助け合い、それをもし出来るのならば少しでも見倣い、主の中の家族的な主の兄弟が互いに愛し合うことは大切なことではないかと感じました。
アーメン。



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