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 | 主の存在意義について?


「主の示しより感じたこと」
(主の天使の夢において示された言葉を読む)

2017年11月3日

見よ、主の天使がこう言って夢で彼にあらわれた。(中略)「彼女は男の子を産む、そしてあなたは彼の名をイエスと呼ぶ、なぜなら彼は彼の民を彼らの罪より救うからである」(マタイ伝1章20~21節 原文訳)

   イエス・キリストの地上に生を受けた上での存在意義とは何かを瞑想していてなんとなく天から示されることもありここに綴りたいと感じました。
   生けるキリストは主を信じる者に聖霊と生命を与えます。キリストは伝道生涯に入りまず「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言われ、宣べ伝え始められました。地上の世の生まれながらの肉の人々は、内側に隣人の立場を無視し、神よりも人の肉の我の利による地上の富や力などを求める罪にまみれています。キリストはそんな世の人々に悔い改めて神の中に新しく生れよ、神の愛の支配と神のご性質は近づいた。と宣べ伝えたと感じます。
   私が尊敬している信仰の師は、悔い改めとは、メタノイア、回心のこと。自分の信仰、心の向きを回転させ、神の方へ向き、神を信じることと教えてくださいました。生まれながらの肉の人が神の愛の生命を受けて回心することをコンバージョンするともいい、体験すると見るもの聞くものあらゆるものが自分の同士、霊の兄弟と感じ 喜びと感動と感謝で満ち溢れる体験をしたと信仰の兄弟からその証を聞きました。
   私も自分が具合が悪く弱かった昔にはじめてキリストのエクレシアに集ったときに、今まで内側が暗い暗黒の締め付けのみを感じていた自分が聖く明るくすがすがしい喜びの生命に包まれて変わった自分を体験したことを思い出しました。
バプテスマのヨハネは「我は汝らに悔い改めのために水にてバプテスマを施す。されど我より後に来るものは、我より力あり。我はその履物を取るにも足らず。彼は聖霊と火とにて汝らにバプテスマを施さん。」とあります。ヨハネの水によりてバプテスマを施したのとは違い、キリストは、バプテスマを聖霊と火にて施されました。キリストのバプテスマは、静かな静的ではなく、熱いもの、聖霊的、生命的なものであり、世の肉の人の罪を、贖いの生命で贖い、赦し、救います。
   これも私の信仰の師の言葉ですが、キリストにある悔い改めとは、自分の罪に落ち込んだり、内面が暗くなったり、心の病的の様になることではなく、神の中に我が悔い改めて、生ける神に立ち返り、霊性を蘇生せしめ、神の恩恵に生きる人間に再創されるためにあります。主は、生ける神の生命でこれを主を信じる人々に導かれる方であり、主を信じる人々を神の子と成して、神により魂を救う方です。そして、キリストを信じることで地上で恵まれ、キリストの天国へ入る事も許されます。これこそ、主の多くの恵みに加えて、主イエス・キリスト様の地上での私たちを愛し私たちへの大きな恵みにある主の他に比較の出来ないかけがいのないキリスト様の存在の意義の一つではないだろうかと感じ、主様に感謝が尽きないです。



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