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 | 天国の中での偉さの意味



(天の父なる神様に対する従順な信仰の姿)


2019年7月14日

   『そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」』

(マタイ伝18章1~5節 新共同訳)


 

  弟子たちの心の中を見透し給えるイエスは、彼らのたかぶりを誡めんとし給い、そしてこれと同時に神の愛はかかるものに注がれして幼児の如き者に注がれることを示し給いました。幼児の如く、天真爛漫で、率直で、謙虚で、信頼の心に満ちている者こそ、天国へ入るものであると言われました。

 

  弟子たちは、たぶん、イエスが天に帰ることも近づいたと思い、自分たちの内においても、天国の中で偉いと言われる者はどういう者かと疑問がわきました。

地上の中で偉いと言われる人は、会社の中のトップである社長や大きなことを成し遂げた人やこの世の権威のある人たちだと感じるかもしれません。

 

  しかし、イエス様の答えは違いました。
天国で偉いと言われる者は、神の前において、母親を慕う幼子の様に、純真で、汚れを知らず、謙虚で、信頼に満ちたものこそだと言われました。この世の権威もあっても良いかもしれませんが、むしろそれよりも、神様に対しての信仰の従順な姿、たとえるならば、自分を愛する母親に対しての信頼関係と同じく、キリストの天の父なる神様に対する従順な信仰の姿でありましょう。アブラハムの天の父なる神に対する全託の信仰の姿こそ私たちの見習う見本だと信じます。

 

  また、イエス様は、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」と言われました。天の国に入れる者はどういう者かという時に、天国に入る人ははじめから決まった人だけではなく、不信仰な自分の心の方向を変えて、心を入れ替えて、キリストを信じる幼子の様な純真な気持ちでキリストの愛を受け入れ、信じれば、天国へ入れると言われていると信じます。

 


   そして、普通人は会社の社長だ、世の中の権威のあるものだと自分の権威を誇りたいという人は多くいると感じます。しかし、そういうのではなく、「自分を低くし、この子供のようになるものが、天の国で一番偉いのだ。」とキリストが言われるのを聞くとこの世に人の考える偉いというのとキリスト様の言う偉いという意味はその真意が違い、その言葉の価値観も大きく違うと感じます。

 

  この世では、人より差を作り、権威を上げ、名を上げ、力をつけ、この世の富を多く所有することこそ他の人と比べて偉さを証明するものだと考える人もあると思います。
   キリスト様が人類すべての罪を負い、十字架上で神の子の血潮を流し、人類の友のために自分の生命を捨てて贖い、私たちと神と和解の救いを与えた行いをなされました。キリストの神様は、私たちを神の子供として、主を信じるものとして愛してくださります。

 

  たぶん、もしかして、私たちにはキリスト様のような大きなわざは無理かもしれませんが、キリスト様の言う価値観を思いめぐらしてみると、肉的であり世的である偉さではなく、私たちは主を信じ神の子として、キリストの天の父に対し、私たちが我が愛する母を慕い、信頼をもつように、天の父に対し、この幼子の様にまことの信頼をし、自分自身を低くして、純真に歩むものが天国の中では最も大きなものだと言われ、私もそう感じます。

 

  また主は「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」と言われました。キリスト様は、キリストの御名のために、このような一人の幼子を受け入れよと言われ、このような純真な幼子を愛して守られ、受け入れよと言われています。そして、受け入れる者は、キリストに受け入れられるものになると言われました。

普通人は大人に向かい、学校で学問、知識や教養、常識などを学び成長しますが、キリスト者になるための道はこのような神に対する純真、従順な幼子の様な神のご性質を学ぶことも大切であると感じました。

 

  そしてキリスト様は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」と言われました。キリスト様の御名のためにこのような幼子を受け入れ、キリスト者同士、生けるキリストに祈り、主なる神様より愛の生命を受けつつ、それぞれがお互い愛し合うことを通し、いろいろなことにおける孤立、分裂は遠のき私たち兄弟同士にまことの愛、平和が訪れると信じます。

 

 

 

   





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