ホーム > 信仰講話コンテンツ > 聖書の学び目次 > 聖書の学び(マタイ伝) > パンで生きることと神の言葉で生きること
| パンで生きることと神の言葉で生きること
|
2018年2月3日
イエスは悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食をした後、空腹を覚えられた。すると、誘惑をする者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。
(マタイ伝4章1~4節 新共同訳)
この荒野の誘惑の箇所は、人類が受くるすべての誘惑の標本であります。イエスも「自ら試みられて苦しみたれば試みらるるものを助け得る」のであって、「すべての事に於て兄弟の如くなる」が為にこの試練に逢い給うことが必要でありました。キリストは伝道を始める前に、私たちのために、神の子として人類の多くが悩み苦しむ誘惑の根源と立ち向かい挑まれました。
パンだけによって人は生きるのではない。とありますが、肉の生命はパンによります。食物により単に肉体を保ち、生かす糧です。人は、食物を食べなければ肉の生命を保つことは出来ず、人は誰でも食べることにこだわります。そして、食べるためが、人が生きるのが目的と考える人も多いいかもしれません。
神の口を通して出づるすべての言葉によって生きる。とは、なんでしょうか?
霊の生命は神の言葉によります。”言葉は神であった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらず成ったものは何一つなかった”(ヨハネ伝1章)、とあります。神の言葉は、すべてのものを作る根源であり、生命であり、人を物質的にも、精神的にも、霊的にも生かす神の力の源だと信じます。
「第一に神の国と神の義を求め続けよ。そうすれば、これらのもの(食べる、飲む、着る)はすべてあなたたちに増し加えられる。」(マタイ伝6章 原文)とあります。神の国とは、神の支配の事です。神の義とは、神のご性質の事です。聖霊にある愛なる神の生命を受け、しもべとして従い、神のご性質を学び、受けることを通し、神の子のキリスト者は信仰と魂が愛に成長すると信じます。そして、ここにもあるように主に祈り、導かれて、第一に神の国と神の義を求めることによって、神は生きるための糧(仕事等による糧)も得られる道を与えてくださります。
そして、肉の生命のために生きるよりも、主に導かれて霊の生命を求めて、生きるものが生けるキリストのまことの愛と幸せに導かれて生きるものとなると信じます。
|
|