2020年9月12日
イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。
(ヨハネ伝4章46~54節 新共同訳)
この箇所は、ある王の役人が自分の息子が病で死に瀕していたのをイエスに癒してもらいたいと願った内容の部分です。
この箇所を原文訳で読むと
『一人の王の役人がいた。彼の息子はカペナウムで病んでいた。この人が、ユダヤからガリラヤに来ていると聞いて、彼の許に出て来た。そして≪イエスが≫下って、自分の息子を癒すように願い続けた。なぜなら死に瀕していたからである。そこでイエスは彼に向って言った。「あなたたちは徴と奇跡を見なければ、決して信じない」。彼に向ってその王の役人が言う、「主よ、下ってください!私の子が死ぬ前に」。イエスは彼に言う、「行け! あなたの息子は生きる!」。その人は、イエスが彼に言ったその言葉に信じた。そして行った。彼がまだ下りつつあったとき、彼のしもべたちが彼に出会って、彼の子は生きていると言った。』(ギリシャ語聖書対訳テキスト<改訂版>ヨハネ福音書1)
この役人の祈りは、真にして切でありました。彼はイエスに関する風聞を聞き、彼こそその子を癒しえると信じました。しかし、イエスに関する風聞を信じる事と彼自身を信じる事との間には根本的な違いがありました。ただ彼の心は子を思う心でいっぱいで、信仰の性質を考える余地はありませんでした。イエスの要求し給う信仰は彼の言葉を聞き、彼を神の子と信じる純粋なる信仰でありました。
イエスは、彼に、「行け! あなたの息子は生きる!」。と言われました。
彼に徴と不思議を見ずに単に彼の言葉にて彼を信じる事を要求されました。これこそ真の信仰でしょう。普通医者は病気の場合は病人と同じ場所で症状を見て、診断して薬や処置をします。病人の家族は、医者が病人と同じ場所で診断することが必要と考えます。
イエス様は、この役人がその子の癒されることを信じていることに対し、神の子イエスキリストご自身を信じることに向けさせ、その場での奇跡ではなくイエス自身の言葉を信じるように言葉をかけました。これは奇跡が起きる時の断言命法だそうです。
その人は、イエスが彼に言ったその言葉に信じました。そして行った。彼がまだ下りつつあったとき、彼のしもべたちが彼に出会って、彼の子は生きていると言った。
とあります。
この役人は、その場に起こる奇跡を見て信じたのではなく、イエスが彼に言った言葉を信じた。そして行ったのでした。目に見える奇跡を信じたのではなく、イエスの言葉、イエスご自身を信じたのでした。
その時に彼の子に奇跡が起こり、その子は生きたのでした。
イエスキリストの力は、同じ場所にいる必要はなく、時空を超えて働き、「行け! あなたの息子は生きる!」。と病気の本人を取りなす親の役人に対し、一言、癒しの言葉をかけることでその力が働きました。
そしてその言葉には、その子は必ず生きるという、その将来起こるだろう事実に、主の信仰において確信して、神の中に断言しておられます。
天のキリストの癒しの生命がその癒しを神の中に信仰により断言した言葉とともにその子に働いたのでした。
物事を実現するためには得たりと信じる信仰が大切と聞きますが、キリストの驚くべき信仰の姿を見た気がしました。キリスト様に倣うことの多きを感じました。
この第2の奇跡をガリラヤで行ったとあります。
癒しの奇跡の起こる現場の状況というのは病人や癒しを取りなす人が奇跡自身や他のことを信じるのではなく、ありのままにキリストご自身を信じることにより奇跡が起こるということを学びました。
キリスト様は純粋に主を信じる者の願いを聞かれ、キリストの御名により祈る祈りを主の約束通り成されます。
奇跡には小さなものから大きなものまであります。主により願いがかなうことも一つの奇跡と信じます。
私達も信仰において、キリストご自身を信じる信仰を大切にしたいと感じました。
(参考文献:ギリシャ語原文について キリスト聖書塾 ギリシャ語対訳聖書ヨハネ福音書1〈改訂版〉)