2021年7月1日
『 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」 』
(新共同訳 ヨハネ伝14章1~14節)
原文訳で「私の父の家には、多くの住む場所がある。〈そうで〉なければ、私が君たちのために場所を用意するために行くと、君たちに言っただろうか。私が行って、君たちのために場所を用意したなら、再び来る。そして君たちを私自身の許へ迎え入れよう。私が居るところに、君たちも居るため《だ》。」
キリスト様は、天国へ行かれ、天国の多くの住む場所にキリスト様を信じる使徒や信徒のために、場所を用意されておられ、使徒や信徒が他界したときに、そのキリスト者を迎えに来られると教えられました。
原文訳で『「私が往くところ、《そこに至る》道を君たちは識っている」。トマスは彼に言う、「主よ、どこに往かれるのか私たちは識りません。その道を識ることなど、どうして出来るでしょうか」。イエスは彼(トマス)に言う、「この私こそ道であり、真(まこと)であり、生命である。私を通ってでなければ、父の御許に行く者は誰もいない。君たちが私を知っているなら、私の父をも知る。今や君たちは彼(父)を知っている。そうだすでに彼(父)を見たのだ」。』
イエス様は、道や真理や生命を教える教師、又は之を示す模範にあらずして自ら道そのもの真理そのもの生命そのものに在し給いました。
私たちはキリスト様ご自身そのものから学び、祈り求めて、聖霊を受けて少しずつキリスト様に魂が近づき、魂が成長していきます。
私たちは人生のあらゆる問題や悩みもキリストの聖霊によりその道を教えられ、主の愛の真に触れ、キリストの聖霊の生命を受けて導かれていきます。
キリスト者の私は、どんな偉人の説いた哲学や文学や学問や教えよりもキリストを信じキリストご自身より学び、また、主より聖書を通し霊感されて学んだ学びはあらゆる人生の問題を解決する唯一の愛の言葉であると信じます。
そして地上の信仰生活が終わり他界するときに、キリストを信じる者は、キリストを通って、天の父の御許の天国へ導かれます。
主キリスト様を信じ、将来のその時を期待し夢見ながら地上の歩みを天国へ向かいつつ一歩一歩歩んでいきたいと願います。
原文訳で『私が君たちに言っている言葉は、私自身から語っているのではなく、父が私の内に留まってご自身の御業(みわざ)を行なっているのである。君たちは私に信じよ、私が父の内に、父も私の内に〈居られる〉ことを。そうでなければ、業そのものによって信じよ。アーメン、アーメン、君たちに言う。私に信じている者は、私が行なっている業をその者も行なう。さらにこれらより大いなる《業》を行なう。なぜなら、私が父の御許に行くからである。君たちが私の名において願い求めることは何でも、私がこれを行う。父が子において栄光を受けられるため《である》。私の名において私に何事かを願い求めるならば、この私が行なう。』
イエス様の言葉は、人としての彼自身の言葉というより、天の父が彼自身の内に留まり、ご自身の御業を行なっている神の御業です。聖書の中のイエス様の言葉はつまり天の父なる神の言葉であり、その業の言葉であります。
この言葉は神の言葉であり、神にかたどって造られた人間のあらゆる問題や悩みを解決する方法やヒントを与えてくれると信じます。
そして「私に信じている者は、私が行なっている業をその者も行なう。さらにこれらより大いなる《業》を行なう。なぜなら、私が父の御許に行くからである。」とありますように、キリストは父の御許にいくので、キリストを信じる者はキリストの業を行ない、さらに大いなる業も行なうと言われております。キリスト者としての大きな希望であると感じました。
また、「君たちが私の名において願い求めることは何でも、私がこれを行う。父が子において栄光を受けられるため《である》。私の名において私に何事かを願い求めるならば、この私が行なう。」と言われ、祈る時は御名により祈りますという言葉の深い意味と愛を理解して、キリストの御名によりて祈りますということばを付け加えることも大切と感じました。
また、キリスト様にキリスト者が御名により願い求めて祈ることは、キリスト様がかなえてくださると言われていることの主の恩恵に感謝が尽きません。
私もキリストの御名によりて願いを求めて祈り主キリスト様に多くの願いをかなえていただきました。あなたにも、キリストを信じて御名によりて祈れ、キリストの恵みを受ける祝福を祈ります。
(参考文献:ギリシャ語原文訳について 『キリスト聖書塾 ギリシャ語聖書対訳テキスト「ヨハネ福音書2」』)