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 | このパンを食べる者は永遠に生きる



(天から降って来た生きたパンとは何だろう)


2020年11月3日

   わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。」
(新共同訳 ヨハネ伝6章48~59節)


   天から降って来た生きたパンとは何だろう?
  信仰とは、単に神を承認することでもなく、教理を受け入れることでもなく、教会教団に属することでもなく、儀式典礼に列することでもなく、霊的問題に熱中せる心の状態でもありません。信仰とは、イエス・キリストの肉を食らい、その血を飲むことであります。
 要するに、キリストと我らの完全なる霊の一致が信仰の奥義です。
 彼の肉を与えるとは、これを十字架に釘づけて贖罪の死を遂げ給うことを意味します。故に十字架の贖罪の死を信じ、彼と霊的一致の状態に入る事は彼の肉を食らう事に相当しています。あたかも肉を食らう事によってこれが我らの肉となるが如き状態であります。かくしてキリストの生命が我らの中に生きるに至るのであります。


  キリストは、十字架にかかる少し前に、主の晩餐で弟子たちに、『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』(マタイ伝26章26~28節)と言われました。


    主の肉を食べ、主の血を飲むとは、地上の人間の食べ物の肉の様に、この世に染まったこの世のだれにも手の届く地上の物質ではなく、尊く、純粋で霊的な神の愛の結晶の普通は天国にしかない様なキリストの霊的な肉、生命のパンを食べ、頂き、罪が赦されるように、また、多くの人のために流される主の血、契約の血を飲むということでしょう。
 すると私達は、キリストの生命が我らの中に生きるに至り、神の子としての自由を得て、平安と恵み、祝福の人生を地上から始めて、召天後は天国での幸福な生活も続けて歩み続けることが出来るのでしょう。


    ギリシャ語原文訳で読むと
『そこでイエスは彼らに言った。「アーメン、アーメン、お前たちに言う。もし人の子の肉を食べ、彼の血を飲まなければ、お前たち自身の内に生命をもつことはない。私の肉を食らい、かつ私の血を飲む者は、永遠の生命をもつ。私もまた、最後の日に彼を蘇らせよう。なぜなら、私の肉は真の食べ物であり、私の血は真の飲み物だから。私の肉を食らい、かつ私の血を飲む者は、私の内に留まる。私もまた彼の内に《留まる》。まさに生ける父が私を遣わし、私も父のゆえに生きるように、私を食らうその者もまた、私のゆえに生きる。これが天から降ってきたパンである。父祖たちが食べて死んだようなものではなく、このパンを食らう者は永遠に生きる」。』(ヨハネ伝6章53~58節)


   とある様に、人の子の肉を食べ、彼の血を飲むものは、永遠の生命を持ちます。そして、キリストの内に留まります。そしてキリストゆえに生き、永遠に生きるようになります。キリストを信じ、生けるキリストに学び、愛の生命を頂くことを祈るもの、主より神の義、神の御性質を学び、主に導かれます。愛の生命を与えられて、キリストに少しづつでも似ることを目指して歩み、私達に神の子に近づく喜びがあると信じます。


   また、キリストは「霊は生かすものである。肉は何一つ益とならない。私が君たちに言ってきたこれらの言葉は霊であり、また生命である。」(ヨハネ伝6章63節 ギリシャ語原文訳)と言われました。


  キリストの言葉は、霊言であり、人を生かすもの、人に生命を与えるものです。肉は形を持っていますが、霊は肉眼では見えませんが、神キリストは霊体を持ち、天上でも時には地上でも愛する人の夢にでも現れて、御姿を示し、愛の言葉を語ってくださる御方です。 キリストの生命は、聖霊、霊を通して、主に求める者の上に、地上の私たちに注がれます。


  主を信じて日々祈りながら恵みと祝福を受けて歩んでいきたいと願います。


(参考文献:ギリシャ語原文『キリスト聖書塾 ギリシャ語聖書対訳テキスト「ヨハネ福音書1」』)


   





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