2021年1月1日
そして、夜明けに再び神域にやって来た。すると民は皆、彼の許に来た。そして彼(イエス)は座って彼らを教え始めた。
ところが、律法学者たちとパリサイ人たちは、姦淫のゆえに捕らえられた《ひとりの》女を連れて来る。そして彼女を真ん中に立たせて、
彼に言う、「先生、この女は姦淫をしていた現場で捕らえられました。さて律法の中でモーセは、このような女たちを石で打ち殺すよう、私たちに命じました。ところであなたは何と言われますか」。
しかし彼らは彼(イエス)を試みて、このことを言っていたのである、彼を訴えることが出来るために。しかしイエスは下に身をかがめて、指で地面に書きつけていた。
しかし彼らが問い続けたので、彼は身を起こし、そして彼らに言った、「お前たちの中の罪の無い者が、最初の者として彼女の上に石を投げよ」。
そして再びしゃがみ込んで、地面に書き続けた。そこで聞いた者たちが、長老たちから始めて、ひとりまたひとりと出て行き始めた。そして彼(イエス)はただひとり、後に残された。女は真ん中にいる。そこでイエスは身を起こして彼女に言った、「女よ、彼らはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。
そこで彼女は言った、「主よ、ひとりもいません」。そこでイエスは言った、「この私もあなたを罪に定めない」。行きなさい。[そして]今からは、もう決して罪を犯すな」。
(原文訳 ヨハネ伝8章1~11節)
(参考文献:ギリシャ語原文訳について 『キリスト聖書塾 ギリシャ語聖書対訳テキスト「ヨハネ福音書1」』)
ここで律法学者たちやパリサイ人たちは、この女を許すためではなく、衆議所において裁かんとしているのであります。その前に彼らはこれをイエスに連れてきてイエスを律法違反で裁く口実を得てイエスを陥れる材料たらしめんとしたのであります。彼らの心の冷酷と汚穢とその罪深きを感じました。
それに対し、イエスは、彼らの悪意に対して答える必要を認めず、指で地面に書き続けられました。
『しかし彼らが問い続けたので、彼は身を起こし、そして彼らに言った、「お前たちの中の罪の無い者が、最初の者として彼女の上に石を投げよ」。
そして再びしゃがみ込んで、地面に書き続けた。』とあります。
イエスは、多くの普通の人の様に、競争社会の中で人を押しのけて、人の足を引き、倒し、自分の地位向上の為に人をいたわり愛すよりも自分の利を最優先にする様なことをせずに、一番大切な自分の生命を捨ててでも人を贖い罪を許し愛し、他人の幸せを希望し、願いを聞かれ、愛される方が私たちの主キリスト様であります。
そして、律法学者が期待していたようにせずに、モーセの律法も守りながら、この女をも愛される行為をされました。
原文訳で読むと『しかし彼らが問い続けたので、彼は身を起こし、そして彼らに言った、「お前たちの中の罪の無い者が、最初の者として彼女の上に石を投げよ」。
そして再びしゃがみ込んで、地面に書き続けた。そこで聞いた者たちが、長老たちから始めて、ひとりまたひとりと出て行き始めた。そして彼(イエス)はただひとり、後に残された。』とあります。
イエスご自身は、けがれも罪もない神の前に義と慈愛である存在に対して、人々は自分の利を優先し他人を追い落とし相手の立場で愛さず他人にいたわりの行為に少ない、罪深い私たち多くの人々の心と魂にイエスの存在と比べて自分の罪を感じてその場にいたすべての人がその場を去ったのだと感じました。
『そして彼(イエス)はただひとり、後に残された。女は真ん中にいる。そこでイエスは身を起こして彼女に言った、「女よ、彼らはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。
そこで彼女は言った、「主よ、ひとりもいません」。そこでイエスは言った、「この私もあなたを罪に定めない」。行きなさい。[そして]今からは、もう決して罪を犯すな」。』と言われました。
罪の無い神の子イエスは、この女を罪に定める権利のある唯一の方でしたが、しかし、イエスはこの女を愛し許されました。
イエスの前には、すべての人は罪人だと感じます。しかし、人があまりにあおい顔をして罪罪と言って、とらわれていくのは間違いだとも感じますが、回心し、神の贖いの生命で贖われて、本来人間の持つ悪い自分の罪障を悔い改めて、きよめられ、魂が救われる事は大切だと感じました。
イエスご自身と向き合い一対一で罪を悔い改めて許される人は本当に幸せだと感じました。
この世の地位や力、名誉なども確かに大切だと思いますが、しかし、神の愛に生き、主キリストから贖いの生命をいただき、自分が贖われて、キリストの愛に少しでも近づき、幼子のような純情な純粋な魂に近づき、キリスト様に少しでも似るのを目指すことが一番のキリスト者としての宝であり、最高に大切なことであると感じました。
イエス・キリストを信じて、御血潮で贖われ、救われて、願いを祈りつつ歩む人こそ、豊かな人生を歩める人だと感じました。