2022年3月3日
神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
(新共同訳 エペソ書1章1~10節)
今までこの信仰講話においては、福音書のマタイ伝とヨハネ伝を読みましたが、これからパウロ書簡のエペソ書を読んでいきたいと思います。
パウロ書簡であるエペソ書は、少し難しいギリシャ語が使われているのでパウロが著者ではないという人もありますが『神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。』と聖書の本文に記載されていますし、晩年の書かれた思想的にも深いものとして、エペソ書について、私はパウロが書いた書簡だと信じます。
パウロは、各地に大きな伝道旅行をし、福音は地中海一帯に伝わりました。その中のエペソとその周辺の7つの教会を中心に、生けるキリストの福音は最後の完成期に入りました。エペソ書は霊的書簡、信仰を深くあらねば分からない書簡であるとも言われますが、主より天よりの霊感を聞き、その主の示しを汲みつつ読み、共に学びたいと願います。
『神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。』とあります。1節にギリシャ語原文「エン クリストー イエースー [キリスト・イエスにある]」の語があります。ここは獄中書簡の中においてパウロの心境を示すものでして、1章3~13節の中においてすら11回を数えます(尚この他diaを持ちいし場合2回あり)。パウロは、唯静かにキリスト・イエスを想い、「彼にある事」の幸福を深く味わっていました。単に我らのために十字架にかかり給いしイエスとしてのみでなく、現に天に在して我らのために執り成し給うイエスとの霊の交わりこそ、パウロの信仰の主要な事実でありました。
パウロは、昔は、熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を迫害していましたが、ダマスコ途上で、天からの光に照らされて、復活のキリストに出会い、回心しまして、パウロは神からの直接の導きでキリストの使徒となりました。
エペソにいる聖なる者たち、キリストを信じる人たちへとありますが、キリスト者として目指すまことの信徒は、キリストを真に信じ、主の聖霊と生命を頂き、主の兄弟姉妹互いに愛し合い、自分の利益や損得よりも、出来るところで主の愛でいたわり、助け、愛し合う様な聖なるものであると信じ、感じました。
『 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。』とありますが、天の神エホバは、わたしたちの主イエス・キリストの父であります。イエス・キリストは、天の父なる神エホバの子でありましたが、天の父の御心をなして、人間、人類の魂を救うメシアとして、苦しみのたくさんある地上に生まれ、福音を伝え、救いをなし、贖いの燔祭として十字架にかかり、世の人々の魂を救いました。父なる神様もこのことについて、旧約時代から預言されていたとは言え、子なるイエスを苦しみの覆う地上に生まれさせることはどんなに苦しかっただろうかと感じました。そして、天の父なる神様に対して、旧約の創世記に記載されている神が作られた人、アダムとアダムの末のもの、肉なる罪深き人間をキリストを通して贖い回心させて救うために愛されていたことへの感謝がわきました。
『神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。』とありますが、天地創造の前に私たちをキリストにおいて選び、神の子にしようと御心のままに前もってお定めになり、予定されていたとあります。現在にキリスト者の私たち自身がキリストを信じて、主に実際に自分の祈りの願いも御心ならば聞かれて、クリスチャンとして救われていると感じられることは、ここで神が私たちを愛して天地創造の前からキリストにおいて選ばれたと聞くとその現実の祝福と恵みと幸せの深さの大きさに感謝がわきました。
『わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。』とありますが、
この贖いは、贖罪の教理を知るとすごいとも感じますが、しかし、まことの贖いとは、贖罪論ではなく、キリストの血による贖い、神の独り子である尊いすべてを聖め贖えるキリストの御血潮、キリストの血による贖いが私たちを贖い、救いました。そして私たちのその救いは、神の御心によるものである事に感謝いたします。
主キリスト様に対して、私たちへのその救いと恵みの深さと広さ、大きさに対して、心から感謝、賛美いたします。