2018年8月4日
だから君たちは悪くあるのに君たちの子供たちには善い贈り物を与えることをしっているのなら、天にいます君たちの父はご自分を求め続ける者たちに善いものをどれほど多く与えて下さるだろうか。だから人々が自分たちに行って欲しいと君たちが欲することはすべて君たちもまたそのように彼らに行え。なぜならこれこそ律法である、そして預言書であるからである。
(マタイ伝7章11~12節 ギリシャ語原文訳)
このギリシャ語の原文日本語訳は、私の尊敬する伝道の師の開いたキリストの集団の中の研究による原文訳です。この箇所は、キリストの教えで、黄金律とも言われます。キリストが人間に恵まれた奥義の教えの宝の言葉と感じます。人間が善き道を歩み、キリストにある自分の志を実現する上で、まことの道へ導く神の尊い言葉であると感じます。何か相手のために行動しようとするときに、そのニーズを最善の形で満たすための指針の言葉とも感じます。相手への行動をするとき相手の欲することを的確に成すための奥義の言葉とも感じます。
口語訳聖書を読むとこのところの訳は、いまいちでその真意について分からなく感じる気がしますが、ギリシャ語原文で訳して読むと真意を悟れる感じがします。そこで、普通この箇所を間違って解釈して読んだ場合の例からまず読んでみます。
自分の欲することを相手に成せというところを読みます。たとえば、もしある人を私とすると私はビーフステーキが好きであります。自分がビーフステーキを食べることを欲しているからこのルールに当てはめて、それを相手に成せ。つまりある友人に食事の席でビーフステーキは美味しいよと言い勧めて食事を出したとします。もしその相手は上手くビーフステーキが好きなら良いのですが、人にはいろいろな人がいますので、ビーフステーキが嫌いな場合は、相手はせっかくのビーフステーキもいらないと、そんなものを注文した私に対し反感を持つかもしれません。つまりこの箇所は、この解釈では間違っているという事です。
ここの原文訳では、「だから人々が自分たちに行って欲しいと、君たちが欲することはすべて君たちもまたそのように彼らに行え。」と書いてあります。だから欲する人々とここで言う、君たちが同じ立場というか同じ土俵に立って欲していることに立って考えています。つまり相手が欲することをその人々の立場に、君たちが同じ立場に立った上で、その君たちがその相手の立場に立ってその自分の欲することを相手に成せということでしょう。つまり自分が相手の立場に立った上でいるその自分が相手の立場に立って欲することを相手に成せということでしょう。自分の欲することを相手に成せというのではなく、相手の欲することを自分が相手の立場に立って自分を相手に置き換えた上でその自分の欲することを相手に成せということです。
少し難しいことを言っているようですが、つまり、相手の欲することをすることについて自分をあくまで主体として成すのではなく、相手の気持ちを大切にして、相手の心を主体として相手に成すことです。
私は、このことと取り組み学び、また、主から示され学びました。それから、たとえば、私の母がいろいろなことで欲することに対し、私は、主より、この黄金律を学んだことにより、的確にその欲することをとらえ母のために成すことができるようになりました。そのことに対し、母からあなたのやることは私に対し、痒い所に手が届く様にしてくれて、願う通りのことをしてもらえて有難いと言ってもらえました。
ここの箇所の様に、聖書には神の独り子キリストの珠玉の言葉が載っていて、その真理は、どこまでも広く、深く、高く、莫大な神の恵みの神のご性質を教え、人の魂を成長させ、豊かに信仰を伸長させます。私は、今後もその生けるキリストの神の愛のご性質の学びを探求し、感謝しつつ学んでいきたいと思います。