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 | キリストに従うとは



(キリスト弟子を選ぶ)


2018年5月2日

   イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。

(マタイ伝4章18~19節 新共同訳)


   イエス様の弟子の選び方が書かれています。主は、弟子を選ぶ時の誘い方は、学者や政治家の様な難しいことは言われませんでした。ペテロとアンデレは漁師であったのを見て、「私の後に来い、人間をとる漁師にしよう。」と言われました。漁師のペテロやアンデレは漁師の仕事は出来ても、もし、主から直接に「我に従え、キリストの伝道を手伝え」と言われたら、自分たち自身の弱さに恐れ、神聖なお役目を果たす自信のなさに人間に与えられる大きな恵みのお誘いにも引き下がったかもしれません。しかし、キリスト様はペテロやアンデレの漁師の仕事をそのまま生かせるようにして、「人間を取る漁師にしよう。」と言われて弟子に誘われました。漁師の仕事をしていて、それを生かして、漁師として、人間を取る仕事をしてみないか?と言われれば、主に従いたいと感じたのではと思いました。イエス様は、相手の立場を知り、相手が欲することをお勧めになるお方だと心から感心致しました。


   イエス様は、神の独子であり、神の子として自らに最大の偉大な力を持たれていました。しかし、キリストは、荒野の誘惑、ヨハネのバプテスマを通り、その後、伝道を成そうとされた時に、まず、協力者である人間の弟子を探されました。そこから、何においても何か事を成そうとするときには、まず、本人が強い志を持ち、その上で自分の協力者を見つけることは大切なのだと悟りました。人間は、一人で生まれ、一人で死んでいくものと知っています。しかし、その自分が生まれるためには、母と父が必要です。そして、自分以外にもし兄弟が生まれれば、人生に親しく自分に近い兄弟が出来、自分と兄弟の複数人が助け合える可能性が出来ます。子供のころから共に育ち共に人生を生きていく可能性も生まれます。何か仕事にしても、趣味にしても、友や協力者がいるとアイディアや知恵を絞りあいながら事を成すこともできるかもしれません。生きる上では、友や協力者は必要であり、大切なのだと感じました。


   ペテロとアンデレは、キリスト様の我に従えという一言で、大切な自分の仕事を捨てて、即座に従いました。大事な自分が生きる仕事を即座に捨て従わすイエス・キリストは、神の子としての大きな魅力を自身に備えておられたのだと感じました。人をひきつけてやまないのは、キリスト様の生命溢れる神の子としての存在と神の永遠の生命をたずさえておられた生命の流れにあったのではと感じました。イエス様は、この世で、もしかして自分を誇っている様な大学教授や法律の専門家や弁護士などではなく、慈愛に溢れ、偽りのない、真実で、お優しく、幼子の様な純粋な魂を喜ばれる愛の神様だと信じます。自分の権威を誇らず、最高の権威者でありながらも自分をとても低くされ、病気やこの世で泣くもの、弱く力のない者、貧しい者を愛し、その友になられる最高に高い愛を持たれた御方であられます。キリストを信じられることの恵みを心より感謝いたします。

   





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