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 | 永遠の生命至る水が内からわき出るとは?



(キリストの言われた永遠の生命とは)


2000年1月10日収録、 2014年5月12日記録

主キリストの教えの言葉より: 
キリストの言われた「その人の内から永遠の生命至る水がわき出る」とはどこからわき出るのだろうか?

生命は、腹の底から湧き上がると言う言葉がありますが、それは、天から来る生命が湧き上がるのですかそれとも自分の腹から生命が湧き上がるのでしょうか?

主は言う。「汝の内側より腹の内より生命の泉が湧き上がるであろうと」。
もちろん生命の泉は人間の己には存在しない。天の生命、主の生命がやってきてその人の内に生命の泉が湧き上がるのだ。
ここで大切なのは、生命は何もなく湧き上がるのではなく、私キリストに求めた時、与えられ腹の内より湧き上がるものなのだ。生命は天の賜物であって、主からのプレゼントだ。この生命は、人類の祖、アダムが地上に創られたときに、天の父が生命の息を吹きかけて、アダムが生きたものとなった、その生命そのものだ。
主キリスト、私は、永遠の生命を内に所有している。

この生命は、祝福の生命であって、この生命は、天の世界の生命であって、地上にあって流れている時間によって、子供が大人へと成長をする時間軸で変わる生命とは別のものである。永遠の生命、神の性質にある生きる生命、神の生命こそ、死を見ず、死を超えしめる実体、永遠に存在する神の生命の性質・実体だろう。
主はこの生命の泉を求めるものに与えられ、腹の底から生きた生命の水が湧き上がるであろうと言われた。
この水は、サマリアの女がはじめ間違えた、ただの井戸の水ではなく、 その人の内から永遠の生命に至る水がわき出る神の生命の泉だ。

天には、生命の河が流れている。この生命の河が永遠の生命の源で、この生命が、天の国の天の人達を、また、地上も含めてすべてのひぞう物に対し潤している。天国と、この地上とのあいだには、大きな淵があって、地上の生きた人は普通天国へは移動できない。 召天して初めて、天への淵を超えて、天国へ入れるのだ。

この地上と天国を結ぶものは、天に帰った人、主をはじめ、主の弟子やキリスト者の知人などで、その方たちの人間の記憶が地上と天国の接触点となっている。私、イエスが地上で伝道して、召天して、天にのぼって、聖霊が下り、初代エクレシアの時代における、キリストの生命、聖霊の生命の時代が始まった。
その時のペテロ、ヨハネなどをはじめ直弟子の多くのものは、私を生前知ったもの、または、パウロの様に神の御霊によって、私を知り召されたものなどであるが、皆、その人たちの霊において、神の霊なるキリストと接触することにより、地上と天を結ぶ接触点となった。そして、その方々が天に帰り、地上に残した神のご性質を明かした文書、聖書などを通し、さらに地上と天を結ぶ接触点となった。
天には、人に、夢を、実現に至らせるビジョンの源の実体を与える蔵があって、人は、自分のビジョンをキリストに祈り願い、祈願し、行動する内に、知らず知らずにその蔵から自分の目指す夢の実体を引き出し、与えられ、その我がビジョンに向かって実現が成る現実をキリスト者は見るだろう。
それも天の泉と同じようにその実体は聖霊の愛という根源が有り、その夢を実現させることをかなえる実体の用意はそのキリスト者のために恵み、あふれるようにいっぱいに満ちている。

自分、己自身の性質の中を見たら生命の泉などは己からは湧上がらない。もし湧上がるとしたら、悪い性質のもの、悪い思いや欲望、ひがみまた悪意などがせきのやまだろう。 人が天国の生命が与えられてこそ、己の内から生命の泉が湧きあがるのだ。 キリストは、生命の泉の源なり。主に生命を求めることが大切なり。

生命の河は、主の持てるもの、主の所有するものであり、人間の肉の性質の中にはなし。 人は、生命を注がれた時、はじめて、神のまことに創造された本来の人、神の子となれるのだ。
主キリストの生命、その主の中で大切なのは、漠然と天に、生命の泉を求めるよりも、主なる私自身、愛の霊なるキリストに祈り願って、主を信じ、主を仰いで、主より生命の泉を頂くことが大切なり。
その生命は、人に、魂において、若返らせる生命を与え、主にある霊性を高め、勝利を得させる源であるだろう。
主キリストに、求めよ、さらば、永遠の生命と主の聖霊の愛が与えられん。
アーメン。



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