2022年9月8日
『だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。』
(新共同訳 エペソ書4章25~5章1節)
「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。」とあります。
マタイ伝7章11節に、あなたがたは悪いものである、とありますが、自分を守るためなどに、あるいは自分の利を得るために、嘘をついたり、人間はしがちだと感じます。しかし、パウロは、エクレシアの中では偽りを捨て、隣人に対して真実を語れと言われました。主キリストを信じて祈り、主の愛の生命を頂くと主の兄弟姉妹の中で愛のまことに生きたいと感じるようになると思いました。私たち一人一人は主のエクレシアの中で互いに体の一部だと感じました。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」とあります。
怒るとありますが、この怒りという字は強い怒りを表しているようです。人間のひとりよがりの相手を配慮しない自分のみの利益に対するためなどの怒りは良くないとおもいますが、神の愛の中にあっての怒り、神の中よりの義憤をパウロは認めておるようです。パウロの男らしさを感じました。しかし、そうでない相手をおとしめてまでして自分の利益を得るような怒りはさけたい。自分が、主の愛の生命を受けつつ歩み、怒りにおいて根を持ち、日を越してまで怒るようなことはしないで出来れば、あっさりとするのがいいと感じました。兄弟同士での怒りは、エクレシア内で大きなトラブルとなる場合もあり、悪魔にすきを与えてはならないと戒めております。
「盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。」とあります。
この「盗むな」は、普通私たちとは関係ないように思えるかもしれませんが、もし、仕事をして報酬をもらいながら、自ら仕事をまじめにせず、だらけてしているものがあれば、仕事の時間を盗むものでしょうし、役所や会社のものを自分の私利私欲のために使っていると思うと決して他人事とは思えないと感じました。
主に祈り聖霊の愛の生命をいただき、自分で労苦し働くなどして正当な収入を得て、主の愛を感じながらそれを困っている人へ分け与える事が出来ることは大切だと感じました。
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。」とあります。
主キリストの愛を受けてキリストの兄弟の中にありながら、悪い言葉は主の愛に反するもので一切口にしないこととあります。ただ聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉、キリストの愛のご性質のことば、主の愛の徳の言葉を語れとあります。神の信仰の上で人々を主の愛に導く言葉、神のご性質にある人々を神の純真、純粋に導くような言葉をキリストの兄弟同士語り合い、互いに愛を高めることを勧めているのだと感じました。
私たちキリストを真に信じている者たちは、神の聖霊を体の内側に宿している神の子であり、地上でか、天国に召天後かは分かりませんが完全に神に贖われて救われる日を約束されているのだと信じます。
「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」とあります。
「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。」で、これらは、キリストの愛の生命とは反するものであり、兄弟同士を分裂させる根源だと感じました。
これらとは全く反対である「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」と勧められておりますが、これらはキリストの愛の中でキリストのエクレシアの兄弟姉妹を、一つにし、一致させる秘訣だと感じました。
私たちキリスト者は、主キリストの愛の生命を受けて、エクレシアの中で、兄弟で互いに愛し合い、あらゆる悪意の心や悪意を捨て、「親切、憐れみ、赦し」を大切にして生きることを通して、エクレシアの中での兄弟の一致が守られ、キリストの愛の中に生きられるのだと学べました。
「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」とあります。
そして私たちは神を信じてキリストの神様から愛されている神の子として、生きております。
聖書にもある通りに、私たちの先生は、ただ一人であり、主キリスト様であります。私たちは、私たちの信仰の見本であります主キリスト様から神のご性質をまなび、神様に倣うものとなり、キリスト様に少しでも似るものになりたいと願います。
主キリスト様の恵みがありますことを祈り上げます。
アーメン。