2022年8月4日
『そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。』
(新共同訳 エペソ書4章17~24節)
「そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。」とあります。
マタイ伝7章11節にもある様に、主は「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。」と言われた様に、人間は本来悪いもので利己心が強く自分の利をのみを求めやすいものだと感じております。しかし、生けるキリストの愛なる神様を信じるキリスト者は、主より聖霊の愛の生命を受けて、聖霊の愛の則(のり)なる内なる道徳律を自然と身につけ恵みの生活が出来ると感じました。
異邦人というこの場合は、キリスト者でない、キリストの神を信じていなく、神なしに生きている人だと感じます。神を信ぜず、自分で社会に功績を残しいろいろな良き事を成していった人もいます。しかし、キリストの神様は、私たちの愛なる真実なる父であり、キリストの神様を信じる者を子として愛してくださり、まことの天国の住人と数えてくださります。やはり可能でしたら私たちはキリストの神様を信じることが出来ることが神様の恵みだと信じます。
神なく生きる人は、多くは人間として、自分を信じて、自分の利を優先にして生きる人が多いと感じます。ある面自分にとって徳のように感じるかもしれませんが、人間が本来において、魂が喜び満足していく生き方は神を愛し兄弟を互いに愛し会い助け合う生き方だと信じます、
キリスト様の言われたマタイ伝7章12節黄金律の「だから人々が自分たちに行なって欲しいと、君たちが欲することはすべて、君たちもまたそのように彼らに行なえ、なぜならこれこそ律法である、そして預言書《である》からである。」(原文訳)という教えを、聖霊を受けて理解し相手の立場を大切にして生きている人もキリスト者であればあると感じますが、神を信じていないこの世の俗の世界を生きている人には少ないと感じました。
そして相手の立場に立ち相手を配慮して生きるのではなく、自分の利益を最も優先して生き、そのために主に自分のことしか見えず、考えが及ばず、自分の力が愛なるキリストの神の力より強いと判断を間違え、無知におちいり、自分の考えが最優先としてかたくなとなり、キリストの神様を信じて愛の生命を頂くことを知らず、神の愛の生命からも遠く離れてしまいます。そして生けるキリストの神様を信じるクリスチャンは、単なる道徳ではない聖霊の愛の則(のり)なる内なる道徳律を自然と身につけ生きていく人が多いと思いますが、愛なる神を信じない人は、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りませんという生活におちいる場合が多いのだと感じました。
主キリスト様を信じて生きている者は恵みがともなうのだと感じました。
「しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。」とあります。
私は、高校生の時に体を壊し、学校を一時休み、苦しんだ時に、生けるキリストの福音に出会いました。その生けるキリスト様を唯一の救いと感じ、信じて新たにキリストの信仰生活が始まりました。主キリスト様の教えは、聖霊の中の愛の生命としてまた生きる糧として私に注がれました。イエス・キリスト様ご自身は生命のパンでして、その愛の生命の神の御性質を学び、いただくことにより、私は、主の恵みが与えられ、元気にもなり、幸せに生きられるようになりました。イエス・キリストご自身は、神の義、神の御性質の源であり、神の愛の真理と主の恵みの源だと信じております。
「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」とあります。
人間は、本来情欲に弱く、溺れやすいものだと感じております。そして好色にも溺れやすいものだと感じました。しかし、生けるキリストを信じて、聖霊の愛を受けてからは、情欲に迷わされ、滅びに向かっていた私たちは、知らず知らずに、新生をして、新たに生まれ、回心を経験し、古き人を脱ぎ捨てて、新しい人を着ました。
主キリストに日々祈りつつ、主を信じて、贖いの生命を受けて、新しい人を着て、神のご性質、神の深い愛の真理などを今後も主キリストに学びたいと感じ、主の導きに感謝しております。
主キリスト様よりの恵みが主を信じる皆様多くの人々に及びますようにお祈りいたします。
アーメン。
(参考文献:本文中の原文訳は「ギリシャ語聖書対訳テキストマタイ福音書1」)