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 | 誰でも私のもとに来なさい



(キリストのもとには平安と安らぎがある)


2018年12月1日

   『疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜(けんそん)な者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。』

(マタイ伝11章28~30節)


   世の中では、競争社会で、誰でももし可能ならば自分が頑張って成果を上げたいと思うでしょう。自分以上にあるいは、背伸びをして物事をやり遂げる努力をするかもしれません。ある人たちは、社会の中で勝ちを得て上手くいくでしょう。しかし、社会は思ったより優しくなく、またある者は、疲れ、重荷を負い、病気などになり、落伍をする者もいるかもしれません。そういう弱い人やもしも自分が落ち込んでしまったような人などに対し、キリスト様は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげようと言われます。キリスト様は、子供の様に優しく、自分を誰よりも低くされる方です。


   キリスト様は、私たちの重荷の負えない部分を負ってくださり、私達と共に一緒に重荷をかついでくださいます。また、主キリスト様は神の子であり、私たちは、主様から神のご性質を学べます。私たちが、キリスト様ご自身から学んだ神のご性質は、私達の魂を聖霊の生命で満たし、私達に主キリストの恵みと祝福が恵まれます。


   キリスト様から聖霊の生命を頂くと、私達は、神の愛の平安に満たされます。
そして主キリスト様の戒めは、キリストと同じ様にして、兄弟互いに愛し合うことであり、主キリスト様は本人の負えない重荷は負わさない方だと感じます。    キリスト様の求める事は、主キリストを信じ、神の兄弟同士愛し合うことです。主なる神様は、悪の技は嫌われて、どこまでも神の愛の技を喜ばれます。そして、兄弟が憎みあう社会をなくし、兄弟が神の中に愛し合う社会を到来させようとなされます。主なる神様を信じ、主に似る者に成ることを希望して主なるキリストの中にある世界は神の愛の大きさが優先される世界だと感じます。


   私達が、社会の中で傷つき苦しむ最悪のときのまことの逃れ場所はこの世にはないのではと感じます。。キリストのもとに行くことにより私たちは安らぎを得ます。主様の愛に生き、主から学び、神のまことの安らぎを得られるのでしょう。生けるキリストを信じる者は幸せになれると信じます。


   私は自分のみの力で物事を成そうとした時もありました。ある人は、その上でいろいろなことがいつも上手くいく人もいるでしょう。しかし、私は、そうしていた時、ある時から自分がからまわりして物事が上手くいかなくなりました。そして、いつしか私は、絶望を経験しました。しかし、そんな私が生けるキリスト様に導かれて信じ、自分以上の尊い上なるものを知り、祈願の祈りをし、その実現を目指し、願いが成り、それからは少しずつ上手くいくようになり、幸せな現在があります。生けるキリストを信じ日常生活をすることはとても私にとって幸福です。


   生けるキリストを信じて生きることは神の愛のまことの幸せを生きる本来の自分を見いだす恵みだとも感じました。






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