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 | 生命をかけてやり遂げる福音の素晴らしさ



(キリストのまことの福音を伝える尊さ)


2024年02月8日


  『ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。


  そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。しかし、シラスはそこにとどまることにした。しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。』
(新共同訳 使徒言行録15章1~6,22~35節)


  ギリシャ語原文訳で
『さて或る者たちがユダヤから下って来て、兄弟たちを教えていた、「もしお前たちがこのモーセの習慣に従って割礼を受けなければ、救われることができない」と。それで彼らに向かって、少なくない対立と論争がパウロとバルナバに起ったので、パウロとバルナバと彼らのうちの他の数人が、この問題のことで使徒たちと長老たちに向かってエルサレムに上って行くことを彼らは命じた。そこで、一方で彼らはエクレシアによって送り出されて、ピニケとサマリヤを巡り歩いた、異邦人たちの帰依を詳しく述べながら。そしてすべての兄弟たちに大きな喜びをもたらしていた。他方で、彼らはエルサレムに着いて、エクレシアと使徒たちと長老たちとによって受け入れられた。また神が彼らと共に行なったことのすべてを報告した。』


  この箇所は使徒会議の記事で第一伝道旅行と第二伝道旅行との間に介在する重大事件でありました。救いに割礼は必要なのか否かの問題で、律法対福音、ユダヤ主義のキリスト教対異邦人のキリスト教に対する分岐点でした。その後の教会史上にも度々この思想が頭をもたげました。福音を受け入れ難き人間の本性のあらわれだと感じます。
 ここでパリサイ派でキリストを信じたものがアンテオケに下りました。そしてユダヤ主義の或るキリスト者たちが兄弟たちに「もしお前たちがこのモーセの習慣に従って割礼を受けなければ、救われることができない」と、教えました。
これに対してパウロとバルナバたちは、神の恩恵による聖霊の愛の福音を説き、多年固執し来れる習慣を脱却できないユダヤ主義のキリスト者たちと対立と論争が起きました。


  ダマスコ途上で大コンバージョンをしたパウロは、信仰の救いは、割礼をすることにあるからではなく、神の恩恵による信仰の救いだと感じていたからだと思います。 『それで彼らに向かって、少なくない対立と論争がパウロとバルナバに起ったので、パウロとバルナバと彼らのうちの他の数人が、この問題のことで使徒たちと長老たちに向かってエルサレムに上って行くことを彼らは命じた。』
パウロはある説によると主なる神様のお示しでこの問題に対してエルサレムへ上ることを決めたそうです。
ピニケとサマリヤを巡り歩いたパウロとバルナバは、異邦人にも与えられる神の信仰の恵みによる救いを伝えて、多くの者に喜ばれました。


  『彼らはエルサレムに着いて、エクレシアと使徒たちと長老たちとによって受け入れられた。また神が彼らと共に行なったことのすべてを報告した。』とありますが、エルサレムの使徒たち長老たちへのバルナバのとりなしもあり、またパウロやバルナバの各地での生命をかけた伝道の成果も評価されて、エルサレムで受け入れられたのだと思います。 『また神が彼らと共に行なったことのすべてを報告した。』とありますが、神と共に行った大きくダイナミックな伝道のすべてを報告したとのこと、胸躍る伝道の話を聞いて、素晴らしく生命に満ちた報告だったのだろうと感じました。


  ギリシャ語原文訳で
『しかし、パリサイ人たちの派出身で信者となっている或る者たちが《こう》言いながら勢いよく立ち上がった、「彼らに割礼させ、またモーセの律法を守ることを命じるべきである」。また使徒たちと長老たちが、この言葉について協議をするために集まった。』


  パリサイ人たちの派出身で信者となっている或る者たちは割礼と律法を守ることの異邦人への強制も提案しました。そしてこの言葉について協議をすることになりました。
パウロが反対したことは、律法を守ることではなく、守れなければ救われずとする点でありました。


  ギリシャ語原文訳で
『そのとき、全エクレシアと一緒に使徒たちと長老たちにはよいと思われた、彼らの中から男たちを選び出してパウロとバルナバと一緒にアンテオケに送ることが。兄弟たちの中で先導している男たちであるバルサバと呼ばれているユダとシラスを《送ることが》。彼らの手を通して《こう》書き送って、「兄弟たち《である》使徒たちと長老たちが、アンテオケとシリアとキリキヤにいる異邦人出身の兄弟たちに、ごきげんよう。私たちは指示しなかったのに、私たちの中からの幾人かが[出かけて行って]、あなたたちの魂を転覆させ、あなたたちを言葉でかき乱した、ということを聞いたので、同じ熱情をもった私たちには、男たちを選び出して私たちの愛するバルナバやパウロと一緒にあなたたちの許に送るのが良いと思われた。』


  ここにも「あなたたちの魂を転覆させ、あなたたちを言葉でかき乱した」とある様に、エルサレムの使徒会議では、ユダヤ主義のキリスト者たちの主張する「彼らに割礼させ、またモーセの律法を守ることを命じるべきである」という信仰には大切だという強制的な提案ではなく、パウロやバルナバたちの”信仰の救いは、割礼をすることにあるからではなく、神の恩恵による信仰の救いだ”という様なことが認められました。
この個所の前に、ペテロや主の兄弟ヤコブも律法の行為によらず神の恩恵により救われるパウロやバルナバに賛同する様な弁明をしました。
パウロやバルナバは、生けるキリストのすべての人々へ対する純粋な信仰の福音を説いてくれたことに感謝がわきました。


  ギリシャ語原文訳で
『《バルナバとパウロは》私たちの主イエス・キリストの名のために、自分たちの命を引き渡してしまっている人たち《である》。それで私たちはユダとシラスを遣わした、彼らが言葉によって同じことを公に伝えるように。なぜならあの聖霊と私たちには、よいと思われた、これらの必要なこと以外にはあなたたちに何一つ負担を負わせないことが。偶像に供えられたものと血と絞め殺されたものと淫行から離れていることが。これらのものから自分たち自身を安全に守りながら、あなたたちは良く行いなさい。お元気で」。それで一方で、彼らは去ってアンテオケへ下って行った。そして会衆を集めて手紙を手渡した。他方で、彼らは読んで、その励ましによって喜んだ。またユダとシラスは、彼ら自身も預言者たちなので、多くの言(ロゴス)を通して兄弟たちを励ました。そして堅く支えた。それで彼ら(ユダとシラス)は期間を過ごしてから、平安のうちに兄弟たちから自分たちを遣わした者たちに向かって去って行った。しかしパウロとバルナバはアンテオケで時を過ごしていた、別の多くの者たちと共に主の言(ロゴス)を教えながら、また喜びのおとずれを伝えながら。』


  『なぜならあの聖霊と私たちには、よいと思われた、これらの必要なこと以外にはあなたたちに何一つ負担を負わせないことが。偶像に供えられたものと血と絞め殺されたものと淫行から離れていることが。』とありますが、これは、ヤコブの弁明からの引用の箇所です。
偶像に供えられたものと血と絞め殺されたものと淫行から離れていることの4つ以外はキリスト者には何一つ負担を掛けないとあります。
これは、ある説によると、異邦人やキリストを信じる多くの人たち向けだけでなく、パリサイ人たちの派出身で信者となっている或る者たちにも一定の配慮でこのようなことを付け加えたともいわれている様です。
それも大切だとも思いますが、パウロは後の生涯にわたり、生けるキリスト、主を信じる者への神の恩恵による信仰の救いと祝福を伝え続けて、大伝道を成し遂げたと感じます。


   エルサレムでの使徒会議でも生けるキリストを信じ、堂々としてまことのキリストの福音を説いてくださったパウロには心から感謝がわきます。まことのキリストの聖霊の愛と恵みの福音をわりびきすることなく、生命をかけて、反対するものに動ぜずに、伝えてくださった信仰者であり、キリストのまことの福音全体を把握し深く理解していた彼だからこそ大伝道が出来たのだと信じます。
まことの福音のためには生命をかけた姿に対して、その姿勢に学ぶことが多いと思いました。
パウロがいたからこそ、私たちが現在喜んで生けるキリストの救いと福音に生きられるということを感じて、主様とパウロへ心から感謝いたします。


  あなたに主の恵みと祝福が訪れることをお祈りいたします。


  (参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝2(改訂版))


   





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