2023年12月21日
『パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。』
』
(新共同訳 使徒言行録13章42~52節)
『アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。 』(使徒言行録13章1~5節)
原文訳で『さて彼らが主に礼拝し、そして断食をしているときに、あの聖霊が言った。「今こそ、あなたたちは私のためにバルナバとサウロを選び分けよ、私が彼らを召した業のために」。そのとき彼らは断食をし、そして祈り、そして彼らに手を按いて去らせた。それで、彼らは聖霊によって送り出されて、セルキヤに下って行った。またそこからクプロに船出した。」』とあります。
この時には、キリストの僕となっていたのですが、以前には、キリスト教徒を迫害していたサウロは、ダマスコ途上で神に召されて神の光にあてられてコンバージョンをして、神の使徒となりました。ここでサウロは神から大きな使命を託されて大伝道旅行へと旅立ち、キリストの教えを世界宗教とするための活動が始まりました。
原文で、”あの聖霊が言った。”と記載されていますが、五旬節、ペンテコステの日に、くだったのと同じ聖霊は、「今こそ、あなたたちは私のためにバルナバとサウロを選び分けよ、私が彼らを召した業のために」。といい、サウロ(後のパウロ)を、キリストの神の大きな福音の展開を開始するために、聖霊によりお示しになり押し出されました。神様には、その器をお選びになるときは、味方であっても、また迫害するものであってもそれによらずに、その人物の器を見られてその使命を与えられる大きなお方なのだと感じました。
また、”彼らは聖霊によって送り出されて、”とありますが、キリストの伝道は聖霊を大切にして、主に祈り聖霊を受けながら伝道をするのがまことの伝道だと感じました。
『パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。 律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。』(使徒言行録13章13~15節)
原文訳で『さてパポスから船出して、パウロの周りの者たちはパンフリアのペルガに来た。しかし、ヨハネは彼らから離れ去って、エルサレムへ引き返した。しかし、彼らはペルガから巡り歩いて、ピシデヤのアンテオケに現れた。そして安息日にシナゴーグに[入って]行って着席した。さて律法と預言者たちの《書の》朗読の後、会堂司たちは《こう》言わせるために彼らのところに《人を》遣わした。「兄弟なる男たちよ、あなたたちの中に民に対する何か励ましの言(ロゴス)があるなら、言いなさい」。』とあります。
『「兄弟なる男たちよ、あなたたちの中に民に対する何か励ましの言(ロゴス)があるなら、言いなさい」。』とあり、
会堂司たちは、この会衆の中で、パウロたちは、いちもくおける存在、目立った存在、民に励ましの言葉を伝えられるものとして見えていたと感じました。
ここでパウロが語る福音のことばは、他のいろいろな場所でも伝えた言葉の様です。
『神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。』(使徒言行録13章23~29節)
原文訳で『兄弟なる男たちよ、アプラハム一族の子たちよ、そしてあなたたちの中で神を畏れる者たちよ、この救いの言(ロゴス)は私たちに遣わされた。というのはエルサレムに住んでいる者たちと彼らの指導者たちは、この者(イエス)を悟らないで、すべての安息日毎に朗読されている預言者たちの声を裁いて成就しました。そして死にあたる理由を一つも見出さないのに、彼(イエス)が殺されることをピラトに要求した。それで彼らが彼について書かれていることすべてを完了したときに、木から《彼を》引き降ろして墓に納めた。』とあります。
世界伝道をしているこの場所には、ユダヤ人や異邦人もいたものと思えます。殉教をしたステパノもこのパウロの説教と同じような事を語ったと感じますが、異邦人も多い所のせいもあると思いますが、パウロは、民衆に対して、『エルサレムに住んでいる者たちと彼らの指導者たちは、この者(イエス)を悟らないで、すべての安息日毎に朗読されている預言者たちの声を裁いて成就しました。』
という様な感じに民衆がイエスを殺したことを、強い口調で裁いて語らず、やんわりとした言い方で理解できるように話している様に感じました。
パウロは知恵や家柄にもことばにもいろいろな面に才能のある人だったと感じますが、話術にも優れた人だったと感じました。
『パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。』(使徒言行録13章42~52節)
原文訳で『それで彼らが出ていくときに、週の間にこれらの言葉が自分たちに語られることを懇願していた。そして集会が解散したとき、ユダヤ人たちと敬虔な改宗者たちのうちに多くの者たちが、パウロとバルナバに付いて行った。』
とありますように、パウロの福音を語る中に、聖霊と生命が満ち、人々は主なるキリストの中の祝福の生命を受けて、民衆はもっと主なる神の信仰のお話を聞きたいと思い、再び語られることを懇願したと感じました。私も聖霊の生命を受けると喜びに満ちて嬉しくなる経験をしますが、パウロのお話は素晴らしく、過去あった事であり実際には無理だと思いますが、しかし、パウロの話す現場にて本当にじかにお聞きしたいなと感じました。
原文訳で『しかしユダヤ人たちは群衆を見たとき、妬みで満たされた。そして冒瀆しつつ、パウロによって語られていることに反論しはじめた。パウロもバルナバも大胆に語って言った。「お前たちにこそ、神の言(ロゴス)が最初に語られる必要があった。お前たちはそれを押しのけて、そして自分たちを永遠の生命に値しない者たちであると判断しているので、見よ、私たちは異邦人たちに向きを変える。というのは、このように主は私たちに指図しておられる。私はあなたを異邦人たちの光のために置いた。あなたが地の果てまで、救いのために在るために」。それで異邦人たちは《これを》聞いたので喜びはじめた。そして主の言(ロゴス)を誉め讃えはじめた。そして永遠の生命へと組み込まれていた者たちは、皆信じた。それで主の言(ロゴス)は、この地方全体にあまねく運ばれていった。しかしユダヤ人たちは、敬虔で高貴な婦人たちと町の有力者たちを扇動した。そしてパウロとバルナバに対して迫害を煽った。そして自分たちの境界から彼らを追い出した。それで彼ら(ユダヤ人たち)に対して足の塵を払い落して、彼らはイコ二オムに行った。弟子たちも、喜びと聖霊に満たされていた。』
人は自分より恵まれているものを見ると、妬みを起こす性質があるとも感じます。しかし、愛なる主キリストの福音の発展に対して妬みを持つことは、最悪なことで神への背きであるとも感じます。愛なる神を信じ従わないで背くことの罪は大きく、自分たち自身も気を付けて心すべきことだと感じました。
『お前たちにこそ、神の言(ロゴス)が最初に語られる必要があった。お前たちはそれを押しのけて、そして自分たちを永遠の生命に値しない者たちであると判断しているので、見よ、私たちは異邦人たちに向きを変える。というのは、このように主は私たちに指図しておられる。私はあなたを異邦人たちの光のために置いた。あなたが地の果てまで、救いのために在るために』とあるように、本来は喜んで受け入れるべきユダヤ人がキリストの神のことばを拒んでしまうことは悲しむべきことだと感じました。ユダヤの民が主なるキリストの神に背く事を通して、主なる神は、パウロたちにそれにより、『見よ、私たちは異邦人たちに向きを変える。』というように、この時に、キリストの福音の伝道は、異邦人伝道へ向きを変えて、そして、世界伝道がなる道へと進みました。
『それで異邦人たちは《これを》聞いたので喜びはじめた。そして主の言(ロゴス)を誉め讃えはじめた。そして永遠の生命へと組み込まれていた者たちは、皆信じた。それで主の言(ロゴス)は、この地方全体にあまねく運ばれていった。』
私も主キリストを信じるクリスチャンですが、異邦人伝道が進んだことはありがたかったと感じました。それにより現在私たちもキリストの恵みにあずかっております。
新しいことが古いものたちのいる中で新しいものにより始まると古いものたちは、反対の立場を取ることが多いことをいろいろなことから感じました。
しかし、生けるキリストの神の愛の福音に対しては、反対することは聖霊に反することでもあるとも感じ、気を付けなくてはならないのではとも思います。
主キリストの神様はすべてのものを愛して幸せな平安と喜びを与えてくださる愛の神様です。
どんな時にもいつまでも主キリスト様を信じて、兄弟互いに愛しあい、歩んでいきたいと願います。
主キリスト様の祝福のあることをお祈りいたします。
(参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝2(改訂版))