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 | 神に対する主のしもべにおける自覚



(死んでも死なない神による生きる生命)


2024年01月13日


  『リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。 この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。


  使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。』
(新共同訳 使徒言行録14章8~20節)


  ギリシャ語原文訳で
『そしてルステラに、両足に力のない或る男が座っていた。自分の母の胎を出たときから足萎えで、一度も歩いたことがなかった。この男はパウロが語っているのを聞いた。彼(パウロ)は彼に注目して、そして彼が救われるための信仰を持っているのを見て、大きな声で言った、「立ち上がれ、お前の両足で真っ直ぐに」。すると彼は躍り上がった。そして歩きはじめた。』


  パウロは、伝道旅行に出かけて、いろいろなところでキリストの福音を伝えました。原文訳で読むと、ルステラで母の胎から出た時から足萎えで、一度も歩いたことがなかった、と書かれています。
その男は、熱心に又は幾回もパウロの説教を傾聴していました。この乞食の男は、たぶん生活も苦しく、悩みを持ち、パウロの神の生命の言葉を聞き、救いを求めて話を熱心に聞いていたのだと思います。キリストの言葉の「求めよさらば与えられん」の通りに、この男には神の恵みが訪れました。パウロはこの男に注目したとあります。神を求める者は、いるだけでその存在を感じるものだと思いました。


  『そして彼が救われるための信仰を持っているのを見て、大きな声で言った、「立ち上がれ、お前の両足で真っ直ぐに」。』と言いました。ここにもあるように、この男は救われるだけの信仰を持っているとパウロに感じさせまして、男の霊に向かい霊言でこのように大きな声で命令をいたしました。
『すると彼は躍り上がった。そして歩きはじめた。』とあります。
神の奇跡が起きるときには、病を持った本人の信仰があることと、キリストの癒しの力が望むことが大切だと感じました。


  原文訳で
『また群衆はパウロの行なったことを見て、ルカオニヤ語で《こう》言いながら自分たちの声を上げた。「神々が人間と同じ姿になって、私たちのところへ降りてきた」。そして彼らはバルナバをゼウスと、またパウロをヘルメスと呼びはじめた、彼(パウロ)は言(ロゴス)を先導する者だったから。町の前にあるゼウス《神殿》の祭司も、雄牛たちと花輪を門の前に持って来て、群衆と一緒に犠牲を捧げることを願いはじめた。』


  この地方では、ゼウスとヘルメスが降りてくるという伝説があった様ですが、民衆は、それが起ったと思ったかもしれません。ゼウスはギリシャの神々の中、主として崇められる神、ヘルメスは神々の使者、神託伝達者、言語の発明者、雄弁家としての幸運の神、民衆は使徒たちをこの2神の化身と信じました。パウロとバルナバを神に祭上げようとしました。
町の前にあるゼウス神殿の祭司も雄牛たちと花輪で群衆と一緒に犠牲を捧げようと願いはじめましたが、しかし、ゼウス神殿の祭司自身は、パウロたちを神々と信じたり否やは疑わしく、これを機会にゼウスの神に群衆の信心を起こし自己利益に転じようとしたものの様でした。


  原文訳で
『しかし使徒たち《である》バルナバとパウロは、《それを》聞いて自分たちの上着を引き裂いて、叫びながら群衆の中へ跳び込んだ。そして《こう》言いながら、「男たちよ、なぜこれらのことをするのか。私たちもまたあなた方と同じ感情を持つ人間です。《私たちは》これらの空虚なものから生きている神に立ち帰るように、あなたたちに喜びのおとずれを宣べ伝えています。神は天と地と海とそれらの中にあるすべてのものを造られた。彼(神)は過ぎ去った時代において、すべての異邦人たちが自分たちの道に進んで行くことを許した。それでも彼(神)は善を為しながら、自身を証ししないままにはしなかった。天からあなたたちに雨と実りの季節を与え、食物と楽しみであなたたちの心を満たしながら」。そして《使徒たちは》これらのことを言いながら、自分たちのために犠牲を捧げないように、かろうじて群衆を阻止した。』


  もし偽伝道者ならば、群衆に自分は神であると伝えるだろうと感じます。しかし使徒であるバルナバとパウロは、大きな奇跡を起こしても、自分を神とはせずに人間であるとし、キリストの神様が主の伝道者である自分に臨んで、神様自身が奇跡をおこなうと、神様のご愛による奇跡だとして、自分ではなく、その力を、神様による、神様にきする力だとしました。
神様の絶大なご愛と力を知るパウロであるからこそ、神より自分を立てるのではなく、どんな時にも奇跡に対しても神様の成す力だと神様にきすることは大切なことだと感じました。
そしてパウロたちは、キリストの神様をたたえて、群衆が自分たちを神だと祭上げようとしたことを阻止しました。


  原文訳で 『しかし、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが襲ってきた。そして群衆を説き伏せてパウロを石打ちして、町の外へ引きずって行った、彼が死んでしまったと思って。しかし弟子たちが彼《パウロ》を取り囲んだときに、彼は蘇って町の中へ入って行った。そして翌日、彼はバルナバと一緒にデルベに出て行った。』


  アンテオケとイコニオムからきたユダヤ人たちは群衆を説き伏せたとあります。たぶんパウロとバルナバのキリストの伝道によりユダヤ教やゼウスの神の信仰も覆されるだろうと説いたのでしょう。
そしてパウロを石打ちして町の外へ引きずり出し、殺しました。
原文では、『しかし弟子たちが彼《パウロ》を取り囲んだときに、彼は蘇って町の中へ入って行った。』というようにパウロは死んで蘇り、生き返ったと読み取れます。キリストはパウロに今後も使命を期待して生き返らせたのだと感じました。キリストの生命は死んでも死なない生きる生命であることに驚きを感じました。


  キリスト様が「聖霊がすべてのことを教える。真理の御霊はいつまでもあなたたちにとどまるでしょう」という様に言われました。伝道者バルナバやパウロにはキリストの聖霊が臨んで、聖霊の油は、あらゆることを示し、教えて、大きな業を行うのだと感じました。私たちキリスト者もパウロやバルナバと同じくキリストに祈り、聖霊を受けて聖霊の油により神の不思議を受けとうございます。私たちを愛し導く主キリスト様は、悩める私たちを愛し、癒し、私たちの願いをかなえて祝してくださる神様です。
神様のご愛に感謝いたします。


  主キリストの恵みが信じる人に注がれることを主様にお祈りいたします。


  (参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝2(改訂版))


   





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